高まる緊張 アメリカはイランと戦争するのか?

 

「イランは実に大きな間違いを犯した!」とトランプ米大統領は2019年6月20日ツイッターに投稿した。翌日に、米無人偵察機が撃墜されたことを受けてトランプは、イランへの軍事攻撃を実行に移す直前まで行ったが、約150人の死者が出る恐れがあると聞かされて予定10分前に撤回したと21日語った。

 

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イラン革命防衛隊による米軍ドローンの撃墜について、イラン側は同機がイラン領空を侵犯していたと主張。直ちに軍事対応する「レッドライン」に相当すると述べた。

これに対し米国防総省は、ドローンはイラン沿岸から30キロ以上離れた国際空域を飛行しており、残骸の捜索も公海上で行ったと発表。「イラン領空を侵犯していない米軍機に対するいわれのない攻撃」と糾弾した。

ポンペオ国務長官に言わせれば、直ちにイランへの軍事攻撃に踏み切る最後の一線になるのは、米兵の殺害につながるような何らかの行動があった場合だ。

 

トランプはNBCの番組内で、イランへの軍事攻撃に踏み切るとすればイランが核兵器を手にした時だと主張したが、多くの専門家は、そうした事態に至る可能性を高めているのはトランプ自身の政策だと指摘している。国際原子力機関IAEA)の査察報告書は、つい最近までイランは核合意を遵守していたとの内容で一貫している。

 

トランプ政権は、オバマ前政権下で締結された2015年の核合意から2018年5月に離脱。オバマ前大統領の政策をことごとくひっくり返しているトランプ大統領は、合意が核兵器開発やミサイル開発、テロ支援といったイランの行動を抑制していないとの立場だ。今年4月には、イランの精鋭部隊である革命防衛隊を「外国テロ組織」に指定した。

トランプ大統領によるイランへの圧力強化の狙いは、欠陥だらけとする核合意について、再交渉の席にイランを着かせることだろう。「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ氏は、アフガニスタンやシリアなどの中東に対する関与を縮小させ、財政やアメリカ軍の負担軽減を進めている。北朝鮮のようにイランがアメリカ本土に到達するような核兵器・ミサイルを持つという直接的な脅威は今のところ存在せず、イランに対する主戦論を展開しているわけではない。

 

 

「トランプの特技は、自分が作った問題を取り繕って、勝利を宣言することだ。だが今週は、そのドラマ演出に聖書的な要素が加わった。まず彼は、イランへの報復作戦を指揮する『復讐に燃える神』のペルソナを演じた。そしてすぐに衣装替えのために舞台裏に身を隠し、『平和の君』のマントをかぶって再登場し、作戦の中止を宣言した」

イスラム体制は政治的にも経済的にも構造がしっかりしていて、近い将来、体制転換が起きるとは思えない。イランの態度にも大きな変化をもたらさないことは明らかで、トランプ政権に果たして戦略というものがあるのかすら疑問だ。

 

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アメリカ・イランの過去の経緯

 

2国間に最初にくさびが入ったのは、米CIAが石油利権をめぐってイランでクーデターを起こした53年のこと。それまでの数十年、イランの石油は欧米企業の支配下に置かれ、利益を吸い上げられていた。ところが51年、民主的な選挙によってモサデク政権が誕生すると、モサデク新首相は就任直後にイランの石油産業を国有化して欧米から奪還。すると米英は、すぐさまモサデクを失脚させて米英寄りのパーレビ国王に君主政治を敷かせるべくクーデターを起こした。

しかしこれが、イラン国内のリベラル派と保守派の両方を敵に回し、その後の両国関係に決定的な影響を及ぼすことになる。

保守派は宗教と無関係なパーレビが権力を掌握したことに憤慨し、リベラル派は民主主義が葬り去られたことに落胆。79年には、アメリカの傀儡となったパーレビ政権を打倒しようと国民がイラン革命を起こした。これによって、米外交にとって安定した支柱だったイランが最も不安定な要素に様変わりした。

革命の結果イスラム共和国となったイランは、同様の革命をアラブ諸国に輸出しようとしたほか、アメリカの同盟諸国やそれらの近隣諸国に対するテロに資金を援助するようになった。

 

80年代に入ると、アメリカはイラン・イラク戦争イラク側についた。その後、レバノンイラク、シリアなど米外交が機能していない中東諸国で影響力を増したイランは、この地域における反米勢力の代表格としてシーア派民兵組織のネットワークを強化し、アメリカの意図をくじこうとしている。例えばイランが後押しするイエメンがアメリカの同盟国であるサウジアラビアと代理戦争を繰り広げたりと、中東でイランとアメリカの対立に無関係な国はほとんどないと言っていい。

イランは、2017年に弾道ミサイルの実験に成功。このミサイルは射程2000キロで、複数の弾頭を搭載できる多弾頭型だ。イランとイスラエルとの距離は約1700キロであるため、もしイランが核開発に成功すれば、その時点でイスラエルへ核攻撃が可能となる。また、北朝鮮の長距離弾道ミサイルの技術がイランに流出すれば、イランはワシントンDCを射程に入れて核攻撃を行うことも可能となる。

 

このためトランプ氏は、不完全な核合意を離脱し、未来永劫に渡って核開発ができなくなる状態づくりを急いでいる。

イランの核開発には、イスラエル核武装国として周辺国を圧迫しているという背景がある。そんななか、トランプ氏は親イスラエルの姿勢を加速させている。6月に「世紀のディール」と呼ぶ中東和平案を発表の予定だが、イスラエル寄りの内容になるとも言われている。

 

例えば、現在イスラエルユダヤ人をヨルダン川西岸に入植させて領土を拡張しているが、トランプ政権は「黙認」している。現在ヨルダン川西岸に入植するユダヤ人は40万人。これはパレスチナとの二国家共存の否定であり、それを黙認することは必ずしも中立的とはいえないだろう。

 

イランが核武装すれば、サウジ、エジプトも核武装し、イスラエルが存亡の危機を迎えるのみならず、核拡散の未来がやってくるのは確かだ。しかしイランの非核化に取り組むトランプ政権の「イスラエルびいき」は、また別の禍根を残しかねない。

 

高まる緊張

 

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このように緊張が高まった直接の要因は、トランプがイランとの核合意を反故にし、再びイランに制裁を加えたからである。こうした措置はすべて、ヨーロッパの同盟国の希望に反しておこなわれ、ワシントンの外交通の間でも反対の声が上がっていた。

トランプはイラン政府と対話する用意があるとしているが、この政権がイランを交渉のテーブルに座らせることができると見ている専門家はほぼいない。イランの核交渉チームの元スポークスマン、セイエド・ホセイン・ムサビアンは米誌アトランティックに、「トランプは核合意を台無しにしたことで、将来の交渉のチャンスも台無しにした」と語っている。

そして、緊張の炎がまた大きく燃え盛るのは避けられない。

 

「双方が絶対に引かないと決意しているなか、緊張がさらにエスカレートするのを回避するのは難しいだろう。トランプが望んでいる新たな核交渉は、衝突を避ける一つの手段ではあるかもしれない。だがイランは、信用していない政権との交渉に応じるとは考えにくい。ましてや、合意に至る確率はもっと低いだろう」

ドローン撃墜が注目される一方で、イランの支援を受けるイエメンのホーシー派がその前日、サウジアラビアの淡水化施設を攻撃していたことは、さらに深刻な兆候といえる。ここ1カ月ほどで、ホーシー派はサウジの石油パイプラインや国際空港への攻撃を続けてきた。

淡水化施設への攻撃は実害をもたらさなかった。だが、サウジが貴重な水の確保を海水の脱塩施設に大幅に頼っていることを考えると、こうした施設への攻撃は数ある石油施設への一撃よりはるかにダメージが大きい。

今回の淡水化施設攻撃は失敗したが、サウジに心理的影響を与えなかったわけではない。「イラン側は成功するまで攻撃を続けるだろうし、もしも水施設の攻撃に成功すれば、深刻な事態を引き起こすことになるだろう」

 

 

 

 

一日一生 酒井雄哉(著)/ 一日が一生、と思って生きる

一日一生とは

「一日を一生のように生きよ、明日はまた新しい人生」。

現代の〝生き仏〟と称される酒井雄哉大阿闍梨の慈雨の言葉集。

生々流転を経て、比叡山千日回峰行を二度満行、いまだ歩き続ける。

なぜ生きるのか。

いかに生くべきか。

人生に迷うすべての人に。

「あせらず、あわてず、あきらめず、無理をしない」

「仏さんには、なんもかんもお見通しかもしれないよ」

 

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第一章 「一日一生」

・一日が一生、と思って生きる

・身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す

・仏さんは、人生を見通している

・足が疲れたなら、肩で歩けばいい

・ありのままの自分としかっと向き合い続ける

・「一日」を中心に生きる

・人は毎日、新しい気持ちで出会える

 

第二章 「道」

・生き残ったのは、生き「残された」ということ

・長い長い引き揚げの旅が教えてくれたこと

・人の心には闇がある

・人生の出会いはある日突然やってくる

・自分は何のために生まれてきたのか、なにするべきか問い続ける

・その答えを、一生考え続ける

 

第三章 「行」

・衣を染める朝露も、いつしか琵琶湖にそそぐ

・歩くことが、きっと何かを教えてくれる

・息を吸って、吐く。呼吸の大切さ

・仏はいったいどこにいるのか

・学ぶこと、実践することは両輪

・ゆっくりと、時間をかけて分かっていくことがある

 

第四章 「命」

・子供はおぶったりおぶわれたりして育つ

・夜店で母が隠した父の姿

・心と心が繋がっていた父と母

東京大空襲の時に鹿児島で見た夢

・命が尽きれば死んで、他の命を支えるんだよ

 

第五章 「調和」

・桜は、精いっぱい咲いている

・人は自然の中で生き、生かされている

・心のありようはいろいろなものに作用される

・本当は同じものを見ているのかもしれない

・まだ、たったの三万日しか生きていないんだなあ 

 

千日回峰紀

 

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比叡山の峰や谷を7年かけて計1千日巡り、礼拝する厳しい修行。雨の日も嵐の日も、ひたすら夜中に寺を出て、比叡山中約40キロを歩き、午前中に寺に戻るというものだ。行の途中では、何があっても中断することは許されない。もしも途中で、この行を出来なくなった時は、たちまち自死して果てるという、そのくらいの覚悟を持って、行者たちはひたすら、千日山々を廻るのである。山川草木などあらゆるものに仏の姿を感じながら歩く距離は地球1周分(約4万キロ)。修行を始めてから700日を超えると9日間、食事や水、睡眠を断って不動真言を10万回唱える「堂入り」の行が課される。その後は山中だけでなく、京都市内でも礼拝する。満行すると、行者は大阿闍梨と称され土足で宮中に参内することが許されてきた。 酒井師は、この荒行を二回行った。二千日回峰行を成功させた行者は、長い比叡山の歴史の中でも信長の比叡山以後3人しかいない。

 

酒井雄哉さかいゆうさい)

 

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酒井師は、元々はごく普通の人。というよりどちらかと言うと、落ちこぼれの人生を送っていた。

1926年(大正15年)大阪で生まれたが、父の会社が倒産して5歳で東京に引っ越す。麻布中学を受験したが受験に失敗。夜学の商業高校に入学。しかし学業に身が入らず、教師の奨めもあり、1944年(昭和19年)予科練に入る。運良く特攻隊で命を散らすことなく生還。若い頃は、さまざまな職業を点々とした。

株売買のブローカーを父親とやっていた頃、大金を稼いだこともあったが、1953年、ソ連の独裁者スターリンが死んで、「スターリン暴落」が起こる。丁度今のサブプライムローン暴落のような金融危機だった。大損をして、借金取りに追われた。

いい歳だというので、親戚が気を使って、従妹(いとこ)の女性と結婚をする。しかしこの女性が大阪の実家に帰ってしまう。びっくりして、東京から大阪まで追いかけていくと、少しして、奥さんはガス自殺をする。結婚して二ヶ月しての出来事だった。せめて49日はいてくれと、義父(叔父でもある)にせがまれ、妻の実家の鉄工所を手伝うことに。何故か居座っているうち、義母(叔母)が、気分を転換させようと比叡山に連れて行くことがあった。

 

それから比叡山に行くようになった。そこで偶然、千日回峰行中の行者に出会う。その行者は、千日回峰行でももっとも厳しいとされる「堂入り」の最中だった。場面は、9日間籠もっていた堂から出てくるところ。何しろ堂入りは、9日間不眠・不臥・断食・断水で不動明王真言を10万遍唱えるという常人の思考を遙かに越える過酷な修行だ。その行者宮本一乗阿闍梨の姿に触れた時、若き酒井師の心に強く響くものがあった。運命の出会いだったかもしれない。それからだいぶ時が経って、自分も出家し、千日回峰行を行う道に入っていくのである。

 

そして39歳(1965)で出家した。親子ほどの若者と一緒に、小僧修行に励む。それまでの落ちこぼれ人生がウソのようになり、叡山学院を首席で卒業し、天台座主賞を受賞したほどだ。そしていよいよ1973年千日回峰行に挑む。それから七年後の1980年、第一回目の千日回峰行に満行。引き続き二度目の回峰行を1987年に満行して、二千日回峰行を達成。大阿闍梨(だいあじゃり)となった。

 

最後に酒井師の言葉を贈りたい。「生きとし生けるものの命はみな繋がっている。そう思うと、死は恐ろしいもの、寂しいものではない。一日でも長く生きて、良い結果を残していけば、来世に繋がっていく。そう思うと、毎日にはりが出て、楽しくなる。せっかく命があるのだから、日々、この地球のさまざまの命のことを思いながら、少しでも良いことをして生きて生きたいものだね。」

 

 

 

 

 

目は脳の出張所 目の老化防止には、全身の老化防止が必要!

”目は脳の出張所”とも言われていて、脳が直接支配する12本の神経のうち、実に6本もの神経が目の働きのために使われています。そのため、がんばり過ぎている目をそのままにしておくと、疲れはやがて身体にまで影響し、肩こりや冷え症などの不調にもつながっていきます。

 

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誰にでも訪れる症状は、老眼と白内障です。症状というより、現象と言ったほうがいいかもしれません。「老化現象」ですね。100%の人がなります。

また、人によって出やすいのが疾患としてのドライアイです。ドライアイは、目の表面が乾いて痛む、目がかすむ、疲れるなどの症状があり、白内障は、水晶体が灰白色や茶褐色ににごり、物がぼやけて見える、視界がかすむ、まぶしいなどの症状が起こります。 30代後半から、視力、乾燥、疲れなど、目の力の衰えを実感するという人が多いようです。

 

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実際には、目の衰えはもっと早くから始まっています。症状が出て慌ててケアしようとしても、防ぐのはなかなか難しく、調節力が衰え、段々と近くの物が見えづらくなるのが、いわゆる「老眼」です。35~40歳位から老眼は始まると言われています。

目がかすむ、まぶしさを感じる、急に涙が出てくるなどといった目の症状は、肉体的な過労、精神的なストレス、睡眠不足などが原因でも現れます。

同様に、目の老化は、加齢に伴う血行不良、自律神経のアンバランス、酸化ストレスの増大など、体全体の老化と関連が深いといわれています。

 

体の中でも目は、小さいのにたくさんの血液を要求する臓器です。疲れがひどく全身の血行が悪いと目に症状が現れます。寝不足が続くと頭部に血液が回らず、立ちくらみが起こりやすくなりますが、同時に目のピントも合わせづらくなります。

また、目のピントを合わせるのは自律神経の働きなので、睡眠不足やストレスなどで自律神経のバランスが崩れると、目に症状が出やすくなるのです。

老化と密接に関係する活性酸素(体内で発生する酸化力の強い酸素)も目に影響します。体内では酸化を防ぐ酵素が作られ、活性酸素に対抗する防御システムが働いていますが、年齢とともにその働きは弱くなり、酸化ストレスが増大します。目は酸素の消費が多いため、他の臓器に比べても、活性酸素による酸化ストレスを受けやすいのです。

つまり、目の老化防止のためには、全身の老化防止を心がけることが大切です。

 

視力を保つための対策

(1)バランスのよい食事をする

偏食をせずに、緑黄色野菜や豆、海藻類なども加えてバランスのとれた食生活を心掛けましょう。冷たい飲み物や食べ物は胃腸の働きを弱め、栄養の吸収を悪くするのでなるべく温かい食べ物を。目によい食べ物はドライフルーツやナッツ類です。

(2)ストレスをためない

目の働きは自律神経の影響を受けやすいので、ストレスは目に症状として出ます。交感神経と副交感神経のバランスを保つために、ストレスをためないようにしましょう。

(3)目を休ませる

パソコン作業に読書、テレビやゲームなど目を使うときは1時間に1回は目のストレッチをして休ませましょう。疲れ目には体温程度のホットパックで温め、目の周りの血行をよくしましょう。冷やすのは充血を抑えるのには効果的ですが、血行が悪くなるので、長時間冷やすことは避けましょう。

(4)十分な睡眠をとる

目の働きに直結する脳の疲れをとるためには十分な睡眠が必要です。夜更かしは避けて、午前0時までには寝るように心がけましょう。

(5)禁煙

たばこは血行を悪くするので厳禁。最近急増中の加齢黄斑変性症のリスクを高めます。

(6)軽い運動

毎日続けられる運動を取り入れて、全身の血行をよくしましょう。ストレス解消にも役立ちます。

 

目のトレーニン

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遠く&近くを眺める体操

  1. ①ペンなどを手に持って、腕を伸ばし、ペンを2~3秒見ます。
  2. ②次に、外の景色など遠くを2~3秒見ます。これを3セット行います。

目を開く&閉じる体操

  1. ①目をギュッと閉じます。
  2. ②閉じた目をパッと見開いて2秒キープします。これを3セット行います。

眼球をまわす体操

顔を動かさないようにして、眼球だけ回します。

上→斜め左上→左→斜め左下→下→斜め右下→右→斜め右上、と8箇所を見るようにぐるっとまわします。これを3セット行います。

目にいい食材・サプリメントを摂る

目の健康を保つためには、体全体の健康を保つことを考えなければなりません。目によいからといって、一つの食材ばかりをとっていては栄養バランスが崩れ悪影響ですから、まずはバランスのとれた食事を心がけましょう。その上で、特に目によいとされる栄養素、アンチエイジング効果(抗酸化作用)のある栄養素を摂取するようにします。

  • ルテイン 目の水晶体にもともとある物質で、強い抗酸化作用があります。ほうれん草やにんじん、かぼちゃなどの緑黄色野菜に多く含まれています。
  • アスタキサンチン 目のピント調節の改善が期待される、抗酸化作用の強い物質です。サケやイクラカニ、エビなどに多く含まれています。
  • ビタミンB1、ビタミンC ビタミンB1には、筋肉の疲れをやわらげる働きがあり、目の疲れをやわらげるのにいいでしょう。豚肉、うなぎ、玄米などに多く含まれています。 また水晶体には多くのビタミンCが含まれているため、ビタミンCもしっかり摂るようにします。赤ピーマンや黄ピーマン、パセリなどの野菜やキウイやグレープフルーツなどのフルーツに多く含まれています。

 

 

 

 

「考える日本史」 本郷和人/著 他国に比べて、古代・中世までは実は貧しかった日本

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「知っている」だけではもったいない。なにより大切なのは「考える」ことである。信、血、恨、法、貧、戦、拠、知、三、異。たった漢字ひと文字のお題から、即興で歴史の森に分け入り、ついには日本史の勘どころにたどりつく―東京大学史料編纂所教授の新感覚・日本史教室、開講!教科書や通史は退屈だという人には特におすすめと言える。

第1章 「信」

第2章 「血」

第3章 「恨」

第4章 「法」

第5章 「貧」

第6章 「戦」

第7章 「拠」

第8章 「三」

第9章 「知」

第10章 「異」

「考える日本史」は、各お題をもとに日本史を語る形式になっている。信、血、恨、法、貧、戦、拠、三、知、異。ちなみに、文春新書の「日本史のツボ」も、天皇、土地、宗教、軍事、地域、女性、経済のツボをおさえれば日本史がわかるというもの。以下、本書に関連するテーマについて考察したい。

 

古代・中世までは貧しかった日本 「貧」

 

古代から中世(8世紀から11世紀)の期間は低成長の時代だった。

古代国家は、積極的な墾田政策、律令などの法令整備によって平安時代前半には大幅な農業収入の増加を達成したが、社会をまとめる制度そのものに限界が存在し、低い水準の農業技術では成長を維持することは不可能であった。特に、頻発する飢饉や大陸から伝播してきた疫病によるマイナス要因は高かったと考えられる。

 

最初の持続的な成長を確認できるのは、中世(12世紀から16世紀)の期間である。

この時期は、農業生産の向上、各地における流通・商業の発展がみられ、文献をみても、土地からの生産部門に商業・流通という新たな成長部門が加わり、それらが相互に作用しながら経済が進むという近世の経済成長の特徴の萌芽をみることができる。

中世後半、特に戦国時代は飢饉と戦乱による荒廃した時代とのイメージが強いかもしれないが、数量的分析は逆の結果となっている。

 

戦国時代に全国各地で大名による領国支配が進んだ結果、戦乱の時代を生き抜くために、大名達が統一的な法令・租税制度を整備して領国市場が形成されていったこと、つまり、それぞれの領国で富国強兵策を進めたことにより、生産が増加していたといえよう。

 

近世から近代(17世紀から19世紀)にも生産の拡大が確認できる。この間の成長の特徴は、第一次部門だけでなく、第二次部門・第三次部門の成長も加速していることである。

鎖国」という実質的には対外貿易からえられる利益の見込みがないなかで、経済成長が持続できたのは、内需の拡大があった。

具体的には、近世前半に、日本全国で城下町が新たに建設されていき、城下町建設による建設業を中心とした製造部門の効果があったこと、城下町に武士が集住したため、そうした武家層を対象とした商業・サービス業が発展したことも大きい。

 

近世後半の成長は、列島各地における農村工業の進展とそれにともなう商業・サービス業の拡大があった。そして、幕末期には開港による海外貿易開始の影響で農村工業品の生産が増加したものによると考えられる。

この推計結果を各国の前近代社会と比較してみよう。比較にはGDPを総人口で除して算出した1人あたりGDPの値(1990年国際ドル基準)をもちいる。

まず、アジアの文明国(中国・インド)と比較する(図2)。目を引くのは、古代・中世の日本は経済的には長らく貧しい国であったことである。

 

平安時代後半の日本の1人あたりGDPは中国(宋)に対して6割程度の水準にとどまっており、ようやく持続的な経済成長の兆しをみせはじめた中世後半でも依然としてその差は続いている。

日本がようやく先行する文明国に追いつくのは近世に入ってからで、インド(ムガル帝国)を17世紀中に、中国(清)を18世紀中に追い抜く。

もちろん、これは日本の着実な経済成長があったからこそではあるものの、一方で、広大な国土と巨大な人口を抱え、さらに西欧諸国の干渉にさらされていた中国とインドの失速そのものの影響も大きかったと考えられる。

 

城の近代化 「拠」

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城という字をよく見てみると、「土」から「成る」となっている。このことが示す通り、全国に4万~5万あるといわれる城の大半は土でできており、石垣に天守がそびえるようなものは一割にも満たない。戦国時代にはこのような「土の城」が各地につくられた。これらの城は、武力によって領地を奪い合う「陣取り合戦」において、敵の侵攻を食い止める「カベ」の役割を果たした。そのため、この頃の城兵は戦争の時だけ城に「出勤」し、平時は別の場所で暮らしていたようだ。

 

土の城の多くは山につくられた。城兵の身になって考えると、地形を利用できる分、平野より山の方が守りやすいのは疑いない。敵を防ぐことが目的の城にとって、最も重要な施設は「堀」だ。どれだけ頑丈な建物があっても、入城がフリーパスでは意味がない。その城の守りやすさ(=攻めにくさ)は堀をどう掘るかによって決まるのだ。堀の幅はだいたい五間(約10m)前後のものが多い。これは当時の弓矢の射程と関係していたようだ。しかし、やがて、この堀の幅を大きく変化させる出来事が起こる。

他にも、度量衡・通貨制度の統一、五街道の整備、村単位で年貢や諸役を包括的に負担する村請制度の確立など、社会経済の機構・制度が全国的に整備されたことも、生産の拡大を進める要因として挙げられる。

 

1543年にポルトガルから伝わった鉄砲は、戦国最強といわれた武田の騎馬隊を織田信長が打ち破った「長篠の戦い」を契機に日本中へと広まった。この「新兵器」の登場は、軍事施設である城のあり方にも大きな影響を及ぼす。その最たるものが、前述した堀の幅である。弓矢の倍以上の射程を持つ鉄砲の進撃を防ぐため、城にはより広い堀が必要となったのだ。しかし、急峻な山にはとてもそんな場所がない。こうして、城は広い堀を求めて、なだらかな山や丘、平野へと「下りて」いったのだった。

 

信長、秀吉によって天下が統一されると、各地の陣取り合戦はなくなり、諸大名の軍勢は国の秩序を維持するために使われるようになる。大名たちは将軍の命令にすぐに対応できるよう、城に常備兵を置き、自らも城内に住むようになった。こうして城には、軍事拠点としてだけでなく、住居としての役割が求められるようになったのである。

 

日本が中国から導入しなかった3つの制度 「知」

 

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日本は歴史上、中国の歴代王朝から多くのことを学んできたと言える。遣唐使や遣隋使を派遣し、当時の王朝の進んだ文化を積極的に導入してきた経緯があり、現代の日本においても中国発祥の文化が数多く残っている。

 

 しかし、日本は中国の文化だからといって、何でも無条件に学び、導入してきたわけではない。中国メディアの快資訊はこのほど、「中国から積極的に学んできた日本だが、決して導入しようとしなかった制度が3つある」と論じる記事を掲載した。

 記事は、唐王朝から宋王朝の時代にかけて、日本は当時の中国を敬い、積極的に文化を学んできたとし、その意味で、中国は日本文化の母と言えると主張。多くの事物を中国から学び取った日本だが、「決して学ぼうとしなかった制度も存在する」とし、それは「科挙制度」、「宦官」、そして、「諸子均分制」だと指摘した。

 科挙制度とは中国の歴代王朝で行われた官僚登用試験で、非常に難易度の高い試験としても知られている。官僚になることができれば一生安泰出会ったため、多くの人が官僚になるために科挙に挑んだとされる。だが、その制度の弊害としては「読書や勉学のみが尊い」という風潮が広まり、そのほかのことが軽視される傾向が生まれたことだと言われている。

 また宦官は去勢した官吏を指す言葉だが、中国の歴史のなかで宦官が国の衰退や滅亡を招いた事例は少なからず存在する。そのほか、諸子均分制は中国の相続方法であり、その言葉のとおり一家の財産はすべての子に均等に分配する制度だ。日本の場合は長子相続が採用されてきた経緯がある。「これら3つの制度は中国の発展を束縛してきた悪習」との見方を示し、日本は中国の制度を「取捨選択」のうえで取り入れてきたことがわかる。

 

 

 

健康常識を疑え。驚愕、不真面目な人の方が長生きする!

血圧もコレステロールも高くて大丈夫!

 

 コレステロールはすべてのホルモンのもとで、三分の二は肝臓などさまざまなで体内の臓器で作られています。コレステロールの高い人は、頭の回転も速いし、スケベ心もあるものです。スケベと頭の良さは比例していると思います。「英雄、色を好む」などという諺もあります。歴史上、偉業を成した人はだいたいスケベです。私は「心臓さえ悪くなければ、総コレステロール値は300mg/dlまでは心配ない」と言っています。

 

「かつて、高血圧の基準値は上が180、下が100でした。それが年代が下るにつれ、140、さらに130と厳しく変更されてきたわけです。なぜか血圧を下げる薬を飲んでいた患者さんばかり、脳梗塞になるんです。庭のホースの中にゴミが詰まったらどうするか。蛇口を開き、水を勢いよく出して押し流すでしょう。薬で無理に血圧を下げると、血流の勢いが弱いので血栓が流れていかず、脳梗塞を引き起こす。高血圧にも、こういう役割があるということに気付いたのです。」

 

「'60年代には脳卒中が死因のトップで、そのうち8割が脳出血でした。しかし現在、脳卒中は死因の第4位まで後退し、その内訳のほとんどが脳梗塞になっています。

昔に比べて栄養状態が良くなった現代人の血管は、めったなことでは破れませんから、血圧が上がっても脳出血は起きづらい。それよりも、ムリに血圧を下げることによって脳梗塞になることを心配するべきです。

 

ダイエットも粗食も体に悪い!

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痩せると長生きするというのは、ほとんど動物実験によるものです。人間の場合、夕食を食べても、明日の朝食を食べることもわかっています。次には食べることが出来ないかもしれない…と、昼飯をお腹がパンパンになるまで食べる人はいません。普通の人なら、自然にダイエットをしていると言えます。

 

粗食とは、食の欧米化によって、肉や脂肪をたくさん摂るようになり、カロリー過多になってしまった食生活を、伝統的な日本食に戻そうというもの。生活習慣病を防ぎ、健康増進のために、粗食を心がけている人もいるとは思いますが、粗食を実践し、コレステロールや脂質の摂りすぎを心配するあまり、肉や卵などの動物性食品に過剰に反応してしまうと、たんぱく質不足に。結果、血管がもろくなり、脳卒中や心臓病のリスクが高まるといいます。そのため、日本の伝統的な食事に加え、たんぱく質や脂質も十分に摂る必要があるそうです。

 

 また、こうした肉や卵を遠ざけてしまうことによる、たんぱく質の不足に加え、老化そのものも体のたんぱく質栄養の低下をもたらします。

「老化とは体が乾いて、縮んで、ゆがむ変化、すなわち体から骨と筋肉が減少する変化である。骨と筋肉はたんぱく質からできている。つまり、老化は栄養失調になる変化で、年齢にまかせて少食になるとさらに深刻になる」

 一般的に、筋肉量は20代をピークに徐々に減少し、30歳以降は10年ごとに3〜8%ずつ減少。そのため70歳になる頃には、30歳時と比べ、筋肉量は2〜3割減ってしまうのです。老化という観点からも、シニア世代はとくに、意識的にたんぱく質を摂る必要があるようです。

 良質なたんぱく質は、「体構成ばかりか、各種ホルモンや酵素、抗体など、私たちが生きていくうえで、非常に重要な栄養素」であるといいます。脳卒中や心臓病のリスクを回避し、免疫力の低下を防ぎ、がんや感染症にかからないようにするためにも、1日3食、卵や肉はもちろん、魚、乳製品、大豆製品などのたんぱく質をしっかり摂り、さらに、たんぱく質代謝を促すビタミンやミネラルも、野菜などからバランスよく摂取すべきです。

 

薬を飲むほど病気が治りにくい!

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効果がある薬は、効果を出すだけの強い作用があるので、当然副作用もあります。逆に効果が低い薬は、短期間であれば体の負担になるほどの副作用はないかもしれませんが、長い間飲み続ければ負担がかかってきます。何種類もの薬を服用されている方も多くいます。「治験」という国のテストに合格した薬が市販されることになっていますが、治験はその一薬剤の効用を調べるシステムで、他の薬剤と併用して調べることはほとんどありません。二種類も三種類も混ぜた時の副作用など全くわかっていないのです。

 

「薬は、制御不能な消防車のようなものです。家事の家だけでなく、街全体に放水して水浸しにします。体に置きかえて考えると、気になる症状は消えても、薬の副作用が全身に表れてくるというわけです」

たとえば頭痛薬は、血管を収縮させて痛みを止めます。すると頭だけでなく、胃腸や手足など全身の血管も収縮。それが、冷えとなり、体の免疫力も低下させてしまうのです。

また、風邪薬は「ひき始めが効く」と言われますが、実は効果なしだそう。「薬にできるのは、熱や鼻水などの症状にフタをする応急処置だけで治療ではありません。薬に頼らず治すには、とにかく体を休めること。食欲がないときは無理に食べずに、よく寝るのがベストです」。

 

タバコと肺がんには因果関係はない!

 

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喫煙率がどんどん下がっているのに、肺がんの死亡者数は増え続けています。タバコと肺がんに因果関係があるか疑問です。肺がんの原因としては、煙草より排気ガスの影響が大きいという声もあるのです。また、ニコチンにはさまざまな効用があるのでは、ということで、うつ病アルツハイマーなどの分野で研究が進められています。

 

PM2.5の量は、地域によって大きく異なり近年、喫煙以外の肺がんのリスクとして注目されている要因が、大気汚染です。

WHO(世界保健機構)は、2013年に大気中のPM2.5に発がん性があることを認定しました。微小粒子状物質(PM2.5)とは、炭素や硝酸塩、硫酸塩などを主な成分とする小さな粒子のことを指します。大気中に浮遊し、一定以上体内に取り込まれると、健康に影響が現れるといわれています。

ます。たとえば、北米にはPM2.5が比較的少ない一方、中国やアジアでは非常に高い値で観測されています。特にPM2.5の高い値が認められている中国では、2017年現在、直近の30年で465%肺がんの死亡率が増加しています。

日本でも人口密度の高い東京等でPM2.5が高い値で観測されていることに加え、中国から偏西風に乗って流れてくるPM2.5の影響が大きく、肺がん発症の原因となっている可能性があり、注意が必要であるといわれています。

 

ちょい太めの人の方が長生きする!

 

二〇〇九年に発表された厚生労働省の研究班の調査でも、四十歳時点で太り気味の人がもっとも長寿であることがわかりました。もっとも短命なのは痩せた人で、太り気味の人より六~七年短命だったのです。日常生活に何の困難もないという程度の太り方なら、問題はないはずです。

 

これまでのさまざまな研究で、小太りが2型糖尿病や高血圧などの生活習慣病や、一部のがん、関節炎などのリスクを高めることははっきりしています。だから、40~50歳ぐらいまではBMIが低いほうがリスクは低いはず。小太りは肥満に移行しやすく、一度太ると体重は戻りにくくなる。

 ではなぜ、BMIが25くらいの人が長生きという研究結果が出ているのかというと、65歳を超えたあたりから、栄養不足やタンパク質不足によるリスクのほうが大きくなるからで、この年代だけを対象に調査すれば、小太りが長生きという結果になるということです。

 つまり、若い頃から中年までは標準体重をキープし、高齢になったら栄養不足にならないよう、小太りになるのがベストです。

 

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参考文献:ウソだらけの健康常識 奥村康/著

 

 

 

「シャイロックの子供たち」池井戸潤著 池上線長原を舞台にした隠れた名作

シャイロックの子供たち

池井戸 潤 著

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「現金が足りないんです」。銀行の支店で起こった現金紛失事件。捜索の結果、当日の日付の入った札束の帯封が女子行員のショルダーバッグの中から発見され、疑いがかかる。女子行員は盗ったことを否定し、ミスを隠したい銀行は支店長らが金を出し合って補填をすることに。そのうち、別の男性行員が失踪――。

舞台は、東京第一銀行長原支店。何処にでもある銀行で、ある日100万円の紛失事件が起きた。女性行員の北川愛理に疑いがかかるが、愛理をかばっていた上司・西川雅博は失踪を遂げる。おまけに同僚の遠藤拓治は精神を病んでしまい銀行内は大混乱。一体事件の犯人は誰なのか。長原支店はどうなってしまうのか。

中小企業や町工場がひしめき合う場所に立地し、それらの顧客を主な取引先とする銀行を舞台に、〝たたき上げ〟の誇り、格差のある社内恋愛、家族への思い、上らない成績……事件の裏に透ける行員たちの人間的葛藤を描く。

憎らしい上司も実は高卒採用ということにコンプレックスを抱いているし、役立たずの同僚も家に帰れば温かい家庭があり、誰もがプライドのため、そして家族のために出世を夢見ているなど、銀行という組織を通して、普通に働き、普通に暮らすことの困難さを鮮烈に描いている。

信念に基づいた正しいはずの決断が他の誰かを傷つけ、窮地に追いやっていく。そして、ある者は遂に犯罪へと手を染めてしまう…。会社とは何なのか。働く意味とは何なのかを考えさせられる一冊。

 

遠藤が課長と向かった洗足池板金は長原から坂を下ったところにある洗足池のほとりにある千束八幡神社の境内。そこにいた社長とは...

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シャイロックとは?

シェイクスピアの「ヴェニスの商人」に登場する人物で、悪辣、非道、強欲なユダヤ人の金貸しとして描かれている。主人公であるアントーニオが彼から借金をする際に「金を返せないときには、アントーニオの体の肉を1ポンド(470g)切り取らせる」という証文にサインをさせる。

後日、アントーニオが金を返せなくなった際に法廷にこの証文を持ち込み、アントーニオの肉を刻もうとするが、親友の妻の機転によって一転、全財産を失う事になる。

この事から強欲な人物を彼の名を取ってシャイロックと称する。

 

池井戸潤

1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学文学部人間関係学科、法学部法律学科卒。1988年、旧三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)に入行。退社後、コンサルタント業のほか、ビジネス書の執筆を手がける。

下町ロケット直木賞を取った作家で、半沢直樹シリーズでも有名な池井戸さんだが、舞台となる「東京第一銀行長原支店」は、池井戸氏が銀行員時代に勤務していた「三菱UFJ銀行長原支店」がモデルで、近隣の限られた範囲が舞台になっている。尚、池井戸氏の作品では、長原を始め東急池上線沿線の様子が頻繁に出てきます。

 

池井戸潤氏の主な代表作】

半沢直樹シリーズ

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花咲舞シリーズ

下町ロケットシリーズ

半沢直樹」、「花咲舞」シリーズや本作は、まさに池井戸氏が従事した銀行業務が舞台となっていますね。「シャイロックの子供たち」は、2006年の作品にて、一連の銀行シリーズの中で描かれたもので、ストーリーに派手さはありませんが、読み応えは十分にあります。

 

 

 

JR山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」に決定

JR山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」に決定

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JR東日本は6月に駅名の公募を実施。その結果、6万4052件、1万3228種の応募があり、応募で多かった駅名案は、トップは「高輪」の8398件、次いで「芝浦」4265件、「芝浜」3497件の順であった。

JR東日本曰く、高輪ゲートウェイ駅周辺は、江戸の玄関口にあたる東海道の高輪大木戸があった地であり、また新しい街は交流拠点としての機能を担うことになることから、「過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、街全体の発展に寄与するよう」駅名を選定した。ちなみに、高輪ゲートウェイはたった40票130位。

 

新しい駅の名前が発表され、地元では喜びの声のほか戸惑いの声も聞かれた。
新駅に近い「高輪泉岳寺前商店会」では、地元の名前をPRしようと駅名を「高輪」にしてほしいと、チラシを配布したり、署名活動を展開してきた。「正直、なんだか微妙な駅名」との意見も多く聞かれる。

 

山手線と京浜東北線が停車で、2020年の春に暫定開業し、2024年頃に本開業する計画。山手線の新駅は1971年4月開業の西日暮里駅以来49年ぶりで、30番目の駅となる。

 

駅名に「泉岳寺」が使えない理由

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泉岳寺駅開業後の1993年(平成5年)に、泉岳寺は東京都に対して駅名に寺の名前を使うことについて間違い電話が掛かってくること等により迷惑を被っているとして、不正競争防止法、法人の氏名権、商法21条を根拠に使用差し止めを求めて東京地裁に提訴した。これに対して地裁は、「駅名に使われたからといってただちに信仰との結び付きを損なうものではない」として、寺側の訴えを退ける判決を1994年(平成8年)に下した]。原告側は控訴したが、東京高裁でも駅名の公共性が高いとして控訴を棄却。その後最高裁判所まで争ったが、1997年(平成9年)に原告敗訴で確定した。

 

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泉岳寺は、1700年頃の赤穂事件で名高い浅野長矩赤穂浪士が葬られている。

ちなみに高輪ゲートウェイ駅(新駅)と都営地下鉄浅草線京浜急行泉岳寺駅の距離は約300m。

駅周辺

泉岳寺以外では、本駅の西側を走る国道15号線沿いに、かつての江戸府内から東海道への出入口にあたる高輪大木戸跡がある。

 

新駅の設計は有名建築家の隈研吾

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JR東日本によると、「高輪ゲートウェイ駅」は建築家の隈研吾氏が設計デザインに関わり、構内の中央部分は吹き抜けで、内装は白を基調としている。隈研吾氏は新国立競技場や渋谷駅などで設計を手掛けている。島式ホーム2面4線を有する地上駅。駅舎は主に鉄骨造で地上3階、地下1階建て。高さは約30メートルあり、1階がホーム、2階が改札・街への出入り口・イベントスペース、2・3階に店舗が入る予定。

また、駅舎の照明は「街のランドマークとなる暖かな光」をコンセプトに照明デザイナーで、東京駅の丸の内駅舎を手がけた面出薫さんがデザインした。

 

今後の再開発

JR東日本は駅周辺のおよそ13ヘクタールの敷地で、国際的なビジネス交流の拠点を目指した再開発を進めていく予定で、外国人向けの住居を備えた地上45階、高さ173メートルのビルやホールを備えた文化施設の建設などを計画している。

 

駅名は決まったばかりで多少”響き”にやや違和感がありますが、いずれ慣れてくるでしょう。