野田聖子総務相とGACKTの関係 夫である文信氏は前科あり?
朝日新聞が報じた金融庁への圧力問題が、野田聖子総務相(57)の総裁選出馬に悪影響を及ぼすことは必至。“日本初の女性総理”というその夢を壊したのが、妻を支えるはずの夫であるとは、なんとも皮肉である。
野田聖子の生い立ち
父親の転勤先であった福岡県福岡市に生まれる。オリンピックの年にちなみ、聖子(せいこ)と命名された。
田園調布雙葉高等学校を中途退学[8]、ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクールを卒業後、1983年、上智大学外国語学部比較文化学科を卒業。同年、帝国ホテルに入社。フロント業務、国際セールス部員などを経験した。
1984年、祖母・野田光の死去に伴い、祖父・野田卯一の養子となり、野田姓を継ぐ。
野田聖子の経歴
1983年4月帝国ホテル
1987年4月岐阜県議会議員
1993年7月衆議院議員
1995年4月自民党女性局次長
1995年4月自民党青年局次長
1996年11月郵政政務次官
1997年9月自民党環境部会長代理
1998年7月郵政大臣
1999年10月自民党国会対策副委員長
2001年5月自民党政調副会長(総務担当)
2005年8月自民党離党
2006年12月自民党復党
2008年8月科学技術・食品安全・消費者行政担当大臣
2008年9月科学技術・食品安全・消費者行政担当大臣(麻生内閣、再任)
2012年12月自民党総務会長
2016年1月衆院災害対策特別委員長
2017年8月総務大臣(第3次安倍第3次改造内閣)
2017年11月総務大臣・男女共同参画・マイナンバー制度担当(第4次安倍内閣)(再任)
GACKTとの怪しい関係
野田事務所が、金融庁から調査を受けていた仮想通貨の企画会社「BLACK STAR & Co.」の関係者を同席させた上で、金融庁の担当者に説明をさせていた――と報じられたのは、7月19日のこと。この運営会社が扱う仮想通貨「SPINDLE」は通称“GACKTコイン”として知られ、そして野田氏は「GACKTは友人だ」と公言している。
「企画会社は、広告塔だったGACKTと親交のある野田総務相の威光を笠に、金融庁に便宜を図って貰おうとしたのでしょう」(社会部デスク)
と、野田事務所の圧力を指摘する声もあがるが、報道後すぐ、野田総務相は記者団を前に釈明。「事務的なやりとりだけで圧力ではない」「問題ない」そして、11年に結婚した夫・文信氏(50)の関与については「関係ない」と語ったのだが……。
「文信さんは、GACKTさんと一緒に、ある投資家から仮想通貨の話を聞くうちに、より関係を深めていったと聞いています」
とは、さる金融業界関係者。この人物によれば“先の企画会社には文信氏も一枚噛んでいる”と明かすが、会社の登記簿などに文信氏の名前はない。
「現職大臣の夫という立場上、表向きは存在を伏せていますが、文信氏は企画会社に資金を投じ、仮想通貨を普及させようと目論んでいてね。当局に睨まれ、なかなか事業が軌道に乗らないことに業を煮やしたのか、あるパーティーで“ウチの嫁に話をして金融庁に行ってくる”なんて口にして、周囲に“そんなことしたら問題になる”と言われても耳を貸しませんでした」(同)
夫である文信さんは前科あり?
文信氏はかつて『週刊文春』に〈元暴力団員〉で〈前科二犯〉であると報じられたこともある“いわくつき”の人物。そして本誌が取り上げてきたように、GACKTも数々の金銭トラブルを抱えてきた。こうしたお歴々が登場するこの度の問題について、野田総務相は全てを明らかにすべきである。
本件ではさらに、朝日新聞が金融庁へ申請した面会記録の情報公開請求を、野田総務相が事前に知っていたという問題も。申請を第三者に漏らすことは固く禁じられており、所管する総務省の大臣としての立場を悪用したことになる。
(Livedoorニュースより)
野田聖子氏の圧力問題に「元反社の夫」と「GACKT」の影 - ライブドアニュース
週刊文春2017年9月21日発売号(28日号)によると、文信氏はかつて、京都の指定暴力団「会津小鉄会」傘下の「昌山組」に幹事として所属していた。昌山組は、組長が2000年2月に殺害事件で実刑判決を受け、同年3月に解散。文信氏は事件以前に組を抜けていたが、99年と05年に逮捕歴があり、それぞれ刑罰を受けたという。
野田氏と結婚したのは11年。文信氏は「野田氏に対し、家庭内だけなく、政治的にも極めて大きな影響を与えている」との記述もある。
(NAVERより)
【文春砲炸裂】野田聖子 総務大臣の夫が前科2犯の元暴力団員(会津小鉄会) - NAVER まとめ
あくまで週刊誌の記事にて、100%正しいかどうかはわかりませんが、文春側も取材を重ねて発表しているものにて、今回の件も含めて事実と違うようであれば、野田氏本人が、本件の経緯及び文信氏の素性を説明すべきものと思われます。
”日本初の女性総理”は、かなり遠のいたような気がします。