「極上の孤独」 下重暁子 / 著

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現代では「孤独=悪」だというイメージが強く、たとえば孤独死は「憐れだ」「ああはなりたくない」と一方的に忌み嫌われる。

しかし、それは少しおかしくないか。そもそも孤独でいるのは、まわりに自分を合わせるくらいなら一人でいるほうが何倍も愉しく充実しているからで、成熟した人間だけが到達できる境地でもある。

「集団の中でほんとうの自分でいることは難しい」「孤独を味わえるのは選ばれし人」「孤独を知らない人に品はない」「素敵な人はみな孤独」等々、一人をこよなく愛する著者が、孤独の効用を語り尽くす。

幻冬舎HPより)

極上の孤独 | 株式会社 幻冬舎

 

本書は、なぜ私は孤独を好むのか、 極上の孤独を味わう、中年からの孤独をどう過ごすか、孤独と品性は切り離せない、孤独の中で自分を知るについて書かれています。

この本の冒頭で著者は、「淋しさ」と「孤独」は別物だ、と指摘しています。「淋しい」とは一時の感情であり、孤独とはそれを突き抜けた、一人で生きていく覚悟だ、と説明しています。

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淋しいと言える段階はまだ甘く、淋しさを自分で解決しようという気はなく、誰かが何とかしてくれないかと他人に頼っている、ということです。

それに対して、他人に認められずとも、自分だけでいいではないか。「孤独」の中で自分を見つめることは、実に愛しいことではないか、と著者は述べています。

 

なぜ誰もが「孤独」を嫌うのか

沢山の人に囲まれていながら、誰も自分を見てくれない、声をかけてもくれない。目の前の人とつながれない時に感じるのが孤独なのだ。それならいっそ、独りになってみるがいい。独り歩めば、むしろ充実感があり、他人を気にしないですむ。

人と群れる、人の真似をする、仲間外れになることを恐れる、物事に執着する。そんなことをしていれば、「個」はあっという間に失われてゆく。そうならないために、「孤」の時間を増やしていく必要があるだろう。
そして、その努力なしには「個」は育たないし、魅力的にもなれないと下重氏は指摘している。

確かに一人でいる限り、人間関係の煩わしさはないですね。

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スマホが淋しさを助長する

他人とのコミュニケーションの手段が増えれば増えるほど、淋しさは増すのだ。友達とLINEでつながる。いとも簡単に返事が戻ってくる。そこで心が通じたと感じるのだろうか。うまくいっている時はいい。恋人同士でも友達でも、仲良く会話できた時はいいかもしれないが、そううまくはいくまい。いつまでたっても返事が来なかったりすると、機でも悪くしたのだろうか、病気でもしているのではないかと気にかかる。

スマホは便利なツールです。使い方次第ではないでしょうか。

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「家族がいるから淋しくない」は本当か

家に帰って、誰も出迎える人がいないのは淋しい。特に夫婦と子供という絵に描いたような家庭像が幸せ、と信じて疑わぬ人にはそうかもしれない。私は『家族という病』という本の中で、お互いをもっとも知らないのが家族であり、知っていると錯覚しているだけと書いたが、家族幻想が大きければ大きいほど、ちょっとしたすれ違いで落胆も大きく、それが憎しみに変わる。殺人事件でもっとも多いのが家族間であることを見ても明らかだ。

家族とは不思議なものです。夫婦は、元々は他人、但し、子供とは血でつながっています。

そしてその子供も、将来は他人と一緒に、あるいはひとりで暮らし出します。

最近の”孤独本ブーム”における代表的な作品ですね。「孤独」について考えるには、読みやすくて良い本です。

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但し、「極上の孤独」と言うタイトルに反し、東京の一等地の広尾に住み、パートナーもいて、お金もあって、仕事もある下重さんが、”孤独に強くなれ”と言っているのはやや不思議な感じがします。

 

下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年5月29日 - )は、日本作家評論家エッセイスト栃木県宇都宮市出身。元NHKアナウンサーJKA会長学位文学士