「素顔の西郷隆盛」 西郷どんは映画「ラストサムライ」のモデル!?

素顔の西郷隆盛

 

磯田道史/著

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今から百五十年前、この国のかたちを一変させた西郷隆盛とは、いったい何者か。薩摩での生い立ちから、悩み多き青春と心中未遂、流謫の南島から幕末の渦中へと舞い戻り、策謀と戦闘の果てに倒幕を成し遂げ、ついには賊軍として西南戦争で自決するまで――後代の神格化と英雄視を離れて、「大西郷」の意外な素顔を活写、その人間像と維新史を浮き彫りにする。

謎多き人間像と維新史を、わし掴み

 今年は明治維新からちょうど百年。大河ドラマ西郷どん」の時代考証をつとめる著者が、維新最大のヒーローにして、現代日本の原点ともいうべき男の素顔に迫ります。

 薩摩流のスパルタ教育、悩み多き青春時代、革命思想を育んだ南島生活、再び舞い戻った幕末風雲の渦中、戊辰戦争と新政府の発足、征韓論破裂からついには賊軍として自決――浮沈を繰り返したその生涯は、まさしくドラマチックです。

 振れ幅の大きな言動と歴史上の事績をどう評価すべきか、しばしば小説家や学者泣かせといわれる「大西郷」。本書では、後代の神格化を離れて史料をひもとき、長年研究してきた維新史と重ねながら鮮やかに読み解きます。

磯田道史 『素顔の西郷隆盛』 | 新潮社

 

西郷どんは映画「ラストサムライ」のモデル!?

 

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米国の映画『ラストサムライ』(2003年公開、エドワード・ズウィック監督)には西郷を思わせる不平士族の頭領・勝元盛次(渡辺謙)が登場する。南北戦争の英雄で、新政府軍に西洋式戦術を教えるために来日したネイサン・オールグレン大尉(トム・クルーズ)は「武士道」の崩壊に直面している勝元と出会い、騎士道の崩壊で苦しむ自分と同じ悩みを感じ取り、魂を失った者同士共鳴し合う。

明治新政府は1876(明治9)年、廃刀令を公布し、武士から「武士の魂」を奪ったが、主君への忠義、礼節、正義などの精神性は現在も残っている。教育者の新渡戸稲造は『武士道』の中で、「定義こそないが、武士道は今もこの国に息づく魂であり原動力である」と書いたが、現代の日本でも向上心が高く信念を貫く人を時として「サムライ」と呼ぶ。

 

西南戦争(1877年)

江戸幕府を倒した新政府の幹部達は、外国勢力に魂を売って、国民のことよりも自分達の私利私欲のために国家を利用するようになっていった。

一方、外国勢力による日本国民への搾取をよしとせず、日本国民の利益を第一に考えていた独立派勢力は、新政府により反乱者という汚名をきせられ追い込まれていった。西郷曰く、「この世にあっては、損を覚悟で突き進まねばならない時が、きっとある。モノやカネを損しても守らねばならぬ正義が、誇りが、きっとある。…武士の勇猛心。おのれの信ずる道のためなら損得を顧みず、我命さえ顧みず戦い抜こうとする心です。」

その言葉通りに、西郷隆盛は損得を顧みず、自分の命さえ顧みず、自分が信じる正義を、誇りをつらぬきとおし、殉死したのです。

「(西郷隆盛は)最後のサムライであったのではないかと思われます。」(「代表的日本人」内村鑑三著より)

 

写真を残さなかった西郷どん

暗殺を恐れて、敢えて写真を残さなかった西郷どん。どんな顔だったのでしょうか。

「上野の西郷さん」こと東京の上野公園にある西郷銅像

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1898年(明治31年)の序幕式の際、夫人の糸子が「うちの主人はこんなお人じゃなかったですよ。」と言った言葉が誤解と生み、一般的に「上野公園の銅像は西郷本人に似ていない」と言われることが多いですが、正確には「主人は礼儀をわきまえる人で、人前に出る時はこんな浴衣姿ではなくきちんと正装をしていた」という意味で発言したのであり顔のことを言ったわけではないようです。

 

次に「西郷隆盛の顔」、と聞いて思い浮かべる人が多い肖像画がこれでしょう。

 

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イギリスの駐日公使であり、西郷と何度も会っていたアーネスト・サトウは日記にこのような事を書いています。「大きな目というのが相当印象深いのか、多くの肖像画銅像でも再現されています。」

また、身長は180cm強、体重は110kg強あり、当時の日本人男性の平均身長(155cm)から比べるとかなりの大男でした。イタリアの画家のエドアルド・キヨッソーネが作り上げたのですが、彼自身西郷と一度も会った事がありません。

顔の上半分は西郷の弟の西郷従道、下半分はいとこの大山巌の顔をモデルに作り上げたのです。キヨッソーネは西郷とゆかりの深い人からのアドバイスを参考に作成しており、西郷の遺族や親族が「この肖像画こそ翁(隆盛)そのもの」と確認し、夫人の糸子に贈呈されたのがこの肖像画なのです。

西郷隆盛の弟、西郷従道のひ孫の西郷正道さんや玄孫の松澤光邦さん、西郷真悠子さんたちによると、肖像画としては、一般的に知られているキヨッソーネの肖像画西郷隆盛像として一番しっくり来るということです。

 

最後に西郷と同じ薩摩藩士出身の画家、床次正精(とこなみまさよし)の作品です。

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それに対して薩摩藩士族の床次は西郷隆盛と面識があり、西郷の死後の1887年(明治20年)、自分が西郷に会った記憶を頼りに何十枚も西郷の絵を画き、それを西郷従道黒田清隆三島通庸など西郷隆盛に近いところにいた人々に見せて意見を聞き修正を加え、西郷隆盛像を完成させた。西郷の顔を実際に知っている人々で作り上げた床次作西郷像は実際の西郷によく似ていると言われている