不老不死を追い求めた偉人たち 現代にも通じる健康食品

西太后

「西太后」の画像検索結果

 

「平均寿命が四五歳前後だった当時の中国で、七四歳まで生きた。しかも、ただ単に長生きしたというだけではなく、崩御の直前まで意識がはっきりしていたうえ、髪も終生黒々として、肌も美しかった」

そう聞くと、さぞかし健康的で節制した生活をしていたのだろうと思うかもしれないが、実はそうではない。宮中では専用の輿で移動し、ほとんど歩くことはなかったという。

食生活はというと、食卓には中国全土から集められた珍しい食材によって作られた料理が常時100皿以上並べられた。西太后はずば抜けた美食家だったらしい。さらには政治のトップとして、50年にわたって過度のストレスにさらされ続けていた。

これに近い処方でドラッグストアや薬店で手に入れやすい漢方薬としては「八味地黄丸(はちみじおうがん)」が挙げられる。

「八味地黄丸」の処方には「附子(ぶし)」「桂枝(けいし)」という体を温める生薬が含まれている。「八味地黄丸」からこの2つの生薬を除いた漢方薬が「六味地黄丸(ろくみじおうがん)」。「六味地黄丸」に、血液に栄養を与えて肝臓を守る「枸杞(くこ)」と、目の充血やチカチカするなどの眼の炎症を解消する「菊花(きくか)」の生薬が加わった処方が「杞菊地黄丸(こぎくじおうがん)」だ。

 

滋養強壮~山いも

 

山いもは、滋養強壮効果の高いアンチエイジング食材として、胃腸の弱かった西太后が、好んで食べた特効素材だったそうです。

【効果】

「山薬」と呼ばれて、漢方の生薬としても活用され、胃腸を守り、疲労回復効果が高く、肌のつややかさを保つ働きがあるそうです。

最新の栄養学では、DHEA(女性ホルモンや男性ホルモンを作るのに必要な物質)を、豊富に含むことが認められているとのこと。

  • 疲れ、気力が出ない
  • 胃腸が弱い、下痢をしやすい
  • かぜをひきやすい
  • 肌のハリが気になる

【食べ方】

生でも加熱しても、効果は変わらないそうです。

 

脳の老化予防~くるみ

 

常に100皿以上が並ぶ西太后の食事において、必ず木の実が含まれ、特にくるみは大好物だったそうです。

 

【効果】

木の実は大木の源であるため、薬膳においては、生命エネルギーを強める食材として、重宝されているそうです。

特にくるみは、形が脳に似ていることから、脳の老化予防に使われてきたようです。栄養学的には、血液をサラサラにする、良質の脂肪酸が豊富だそうです。

  • 寒がり、がんこな冷え
  • 腰がだるい
  • 忘れっぽい
  • 肌が乾燥ぎみ

【食べ方】

油で揚げず、調味なしで、プレーンなものが良いそうです。

 

補血効果~黒ごま

 

70代の西太后には、1本の白髪もなく、黒髪は「からすのぬれ羽」のようにつややかだった、と記録されているそうです

美髪美容のために、飲んでいたメニューには、黒ごまがたっぷりと使われていたとか。

 

 

【効果】

薬膳では、食材の黒や赤は血と同じ色とされ、補血効果があると考えるそうです。栄養学的には、黒の色素はポリフェノールで、血液をサラサラにする効果があります。鉄分やカルシウムが豊富で、貧血にも効果が高いようです。

  • 抜け毛、白髪
  • めまい、立ちくらみなどの貧血症状
  • 肌や髪のカサつき
  • 寝つきが悪い

【食べ方】

いり黒ごまや、練りごまを使うと、良いそうです。

 

保湿効果~鶏手羽

 

西太后の食事には、鶏や豚の皮を料理した、「肉皮(ロウピー)」がよく登場したそうです。

 

 

【効果】

薬膳では、鶏手羽や豚足を、保湿効果の高い食材とするそうです。豊富に含まれるコラーゲンが、体を内側からうるおす、と考えます。肌だけでなく、関節の動きをなめらかにするのにも、使われるようです。

  • 肌の乾燥
  • 肌のハリ、シワ
  • ひざ、ひじなどの間接
  • のぼせ、ほてりなど更年期障害

【食べ方】

手羽、豚足、豚耳、魚など、皮も残さず食べると、良いそうです。

 

デトックス効果~大根

 

宮廷では、あまり食べられなかった食材でしたが、西太后は体の中から美しくなるために、メニューに加えていたそうです。

 

 

【効果】

「気」をおろし、食べすぎや消化不良による毒素を排出する効果が高い野菜、とされるそうです。肌をしっとりと白くする、ともいわれているようです。

  • 脂っこい料理
  • 便秘がち
  • おなかが張る、消化不良
  • 太りやすい

【食べ方】

消化不良には生で、肌をしっとりさせるには火を通してやわらかくすると、良いそうです。

 

楊貴妃

「楊貴妃」の画像検索結果

 

傾国の美女・楊貴妃だ。彼女は若さを保つため、毎朝、母乳を飲んでいた。宮中には母乳を提供する女官がいたとされ、さらには若い女の生き血を愛飲したという。その美容法は、清の咸豊帝の側室で、後の同治帝の母である西太后にも受け継がれている。

楊貴妃を喜ばせると玄宗皇帝から褒美がもらえますから、みな争って楊貴妃の嗜好をさぐってはそれを贈り物としました。たとえば楊貴妃はレイシ(その果実はライチ)が大好きでしたが、レイシの産地は長安から遠く離れた南方です。しかもレイシは摘んでから一週間も経てば味も香りも落ちてしまうのです。楊貴妃の口に新鮮で香り高い生のレイシを届けるため、何千キロの道を途中何度も交代しながら全速力で馬を走らせ、その途中で民衆を踏みつけようが、田畑を荒らそうがおかまいなしだったと言います。

なつめは、クロウメモドキ科の落葉樹の果実で、原産は中国から西アジアにかけてといわれています。

生のものはりんごのようにサクサクとした食感があります。乾燥させたものは大棗(タイソウ)といわれ、生薬として漢方薬や薬膳で使われています。

中国では数千年の栽培の歴史があるといわれ、中国最古の薬学書『神農本草経』では「李(すもも)・杏・棗(なつめ)・桃・栗)を五果とし、五臓の働きを助けると記されています。

また「一日食三棗、終生不顕老」=「一日3個のなつめを食べれば、老いない」ということわざがあるそうです。

世界三大美女の一人である楊貴妃もなつめを好んで食べていたそうですよ!

 

日本でも古くから食べていた!

 

奈良時代頃には日本にも伝来していたといわれ、『万葉集』や『延喜式』にもなつめの名は登場しています。

平安時代の薬学書『本草和名』にも大棗の記述があり、薬用として利用されていたことがわかっています。

 

なつめの成分と効果

 

なつめは鉄分・カルシウム・カリウムマグネシウムなどのミネラル、葉酸やパテントン酸・食物繊維・サポニンなどが含まれています。

中医学では気と血を補い、滋養強壮の作用・胃腸の調子をととのえる健胃作用や、精神安定の作用があるといわれます。

最近では、なつめ特有のフルクピラノサイドという糖の一種がアレルギーを引き起こす抗体の生成をブロックする作用があることがわかり、注目されています。

主な効果としては

・貧血予防・改善

始皇帝の死体はすぐに腐臭を放ち始めたが、皇帝の死を隠すために、皇帝の馬車の前後に腐った魚を乗せたとか、側近が皇帝の死体を腐った魚が入った箱の中に入れたなどという話が残っている。 ・精神安定

・不眠解消

・冷えの改善

・抗アレルギー作用

・便秘・むくみ解消

アンチエイジング

・美肌

・更年期症状の緩和

などがあげられます。

 

始皇帝

 

「始皇帝」の画像検索結果

 

中国では古くは始皇帝(紀元前3世紀ころの人物)が不老不死を求め、実際に徐福に東の海に浮かぶ仙人が住む島蓬莱の国へ行き仙人を連れてくるように(あるいは仙薬を持ってくるようにと)命じたことが『史記』に記録されている。無論それらを探し出せなかった徐福は始皇帝の怒りを恐れて、そのまま日本に「亡命」したと伝説は語っている。

この世で強大な権力を手に入れた始皇帝は死を恐れ、不老不死を手に入れようと部下達に無理難題を押し付けた。始皇帝によって不老不死の薬を作ろうとする試み練丹術が始まったが、無謀な命令を受けた彼らが作りだしたのは「辰砂(しんしゃ)」、すなわち水銀などを原料とした丸薬であり、それを飲んだ始皇帝は猛毒によって死亡した。始皇帝の墓には、始皇帝の棺を囲むように「水銀の川」が流れていたそうだが、当時の中国人は「水銀」は聖なる薬であったようだ。熱い砂漠を移動する中、

芸能界とヤクザのつながり 闇営業は氷山の一角?

闇営業と謹慎処分者

 

謹慎処分になったお笑い芸人のメンバー一覧です。

 

「宮迫博之」の画像検索結果

 

反社会的勢力

 

暴力や威力、あるいは詐欺的な手法を駆使し、不当な要求行為により、経済的利益を追求する集団や個人の総称。該当する組織や個人は、暴力団とその団員、および準構成員、暴力団員やその関係者が関与、協力する暴力団関係企業、総会屋、社会運動や政治活動を装って不当な行為をする社会運動等標榜(ひょうぼう)ゴロ(ごろつきの意)、暴力団とのつながりを背景にその威力を用いるなど、不正行為の中核に存在する特殊知能暴力集団などである。近年の暴力団は、活動の実態を隠蔽(いんぺい)し、表向きは企業や社会運動団体などを装いながら、資金獲得のための不当な活動や、巧妙な証券・不動産取引などを行うようになっており、このような総称でよばれるようになった。

 

芸能界とヤクザの繋がり

 

今日、芸能事務所が担当するような仕事の多くは、昭和中期頃までは「興行ヤクザ」と呼ばれる人々が取り仕切っていいました。これは周知の、まぎれもない事実です。

かつての吉本興業や、亡くなった美空ひばりなどが3代目山口組と近しい関係にあり、昭和30年代には山口組興行部を前身とする企業舎弟「神戸芸能社」が、美空ひばりのほか田畑義夫、三波春夫里見浩太朗山城新伍橋幸夫などのマネジメントを担当していたのは、すでに歴史と言っていい周知の事実でした。

 

小林旭は2008年に後藤組後藤忠政組長のゴルフコンペに参加したことが発覚して問題になったが、そもそも「オレがヤクザとゴルフしたからって誰が困るんだよ」「親分がゴルフ主催して、そこに俺も一緒にいて、和気あいあいと仲よくゴルフして、ケラケラ笑って遊んでただけで、何もそのゴルフ場で刃傷沙汰が起きたわけでもなきゃ、なんでもないよ。何がいけないの?」とコメントした。

 

梅宮辰夫の場合は、「最近のやくざ映画の俳優は全然ダメだ。あいつら本職とつながりがないから」と公然と関係を認めている。

島田紳助は、2011年8月に最後のテレビ出演となった『開運!なんでも鑑定団』の放送終了直後、暴力団関係者との「黒い交際」を理由に引退を宣言した。

 

「島田紳助」の画像検索結果

 

AKB48の「前田敦子」。俳優の勝地涼電撃結婚し、つい先ごろ、第一子を妊娠していることを発表したが、夫の勝地の父親は、広域暴力団「松葉会」の元幹部だった。背中には、見事な「くりからもんもん」が入っているそうだが、20年ほど前に足を洗い、現在は不動産業を営んでいる。 

 

女優の「相武紗季」。2年前に結婚した夫の父親は、九州では泣く子も黙る指定暴力団「道仁会」の副会長だった。 20年前に、内部抗争の末に射殺され、すでに父親はこの世にいない。しかし、実は、夫の兄弟の中にはまだその世界に身を置く者もいる。

 

半グレと芸能界

 

半グレとは、「暴力団に所属せずに犯罪を繰り返す集団」を指す。メンバーには暴走族上がりの者が多く、振り込め詐欺闇金融などといった独自のビジネスを展開する集団もあると見られているものの、実態は定かとなっておらず、社会問題化するに至った。「暴走族の元メンバーやその知人らが離合集散しながら緩やかなネットワークで行動を共にするグループ」。振り込め詐欺闇金融のほか、貧困ビジネス、解体工事や産廃の運搬業、クラブや芸能プロダクションの経営、ならびに出会い系サイトの運営などが大抵のメンバーのいわゆる「シノギ」(資金獲得活動)となっている

 

関東連合と芸能界

 

2011年に自殺を遂げた貧乏タレントの上原美優(24=享年)は、かつて関東連合元リーダーのひとりで現在、六本木のクラブ襲撃事件(通称フラワー事件)で昨年12月、東京地裁において懲役11年の判決が下された石元太一被告と交際していたという。また過去に、俳優・佐藤健との不倫関係が報じられた女優の広末涼子の元夫である岡沢高宏については、かねてより関東連合と親しかったことなども触れられており、この岡沢とその後交際していたのが女優・長澤まさみであることももはや有名な話だ。

 ロンドンブーツ1号2号の田村淳は、売り出し中の若い頃に手を出した女性が元関東連合幹部のKのもとに駆け込んだことから、田村は詫びを入れる様子をビデオに撮影され、現金を要求されたという。 

 

「長澤まさみ」の画像検索結果

 

反社会的勢力チェック方法

 

1.Google日経テレコンで名前とネガティブワードを入れて検索

ネガティブワードは暴力団、ヤクザ、逮捕、詐欺、横領、犯罪など。

 

2.反社会的勢力の逮捕記事などを蓄積したデータベースで検索

上場企業をはじめ、多くの企業は手段を組み合わせて対策を行っています。 ※異なるデータソースを検索することで調査が補完されるという考えのもと、2つ以上の手段で反社チェックを実施することが推奨されています。

 

3.調査会社・興信所へ依頼

4.警察で確認

 

芸能界では麻薬などに手を染めて逮捕されてしまう人が多いが、その裏では関東連合のような闇世界との繋がりもあるそうで、芸能界とは華やかな部分と影の部分が常に表裏一体になっている。

 

昔とは違い反社会的勢力は、外見だけでは判断が難しい。反社会的勢力に関する情報は、すべて共有されているわけではなく、その都度調べにいくしか方法はない。仮に調べたとしても、グレーゾーンなど判断が難しいケースは、多々存在する。

今回判明した闇営業は氷山の一角であるような気がするが、「反社会的勢力排除条例」への対応が今後ますます重要となってくるのは間違いないと言える。

ジャニー喜多川氏死亡 ジャニーズ事務所の今後の行方?綻び始めたジャニーズ帝国

ジャニー喜多川氏死亡

ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川(本名・喜多川擴=きたがわひろむ)氏が2019年7月9日午後4時47分、都内の病院で、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で亡くなりました。87歳でした。

 

「解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血」とは

解離性脳動脈瘤(りゅう)破裂とは、血管の中側である脳動脈の壁(内弾性板)が裂けて薄くなり、ふくらんで破裂し、出血した状態をいう。

くも膜下出血とは、脳を覆うくも膜と軟膜の間のくも膜下腔に、破裂して出た血が入り、脳脊髄液の中に混入した状態。ハンマーで殴られたような強烈な頭痛や嘔吐(おうと)などの症状が見られる。破裂前の解離性脳動脈瘤の時点なら治癒することもあるという。

ジャニーズ帝国は、今後どうなるか?

 

ジャニー喜多川社長の後継者はジャニー社長の姉・メリー喜多川副社長の娘で、ジャニー社長の姪である藤島ジュリー景子副社長というのが、既定路線だ。しかし、ジュリー氏は、事務所スタッフからも、所属タレントからも、芸能マスコミからも、その手腕を不安視されている。

「ジュリーさんはクリエイティビティもないし、金儲け主義で、タレントを育てようという意識が薄い」(テレビ関係者)

「ジュリー氏はメディアだけじゃなくて、社内のスタッフ、タレントの間でも評判がよくない。アイデアも人望もなくて、金勘定のことばかり、と。『ジュリーさんじゃ、会社がもたない』とはっきり言うスタッフもいる。タレントもどんどん離れて抑さえが効かなくなり、それこそ、バーニングやケイダッシュの草刈り場になってしまうんじゃないか」(ジャニーズ事務所関係者)

ジュリー体制が進められてきたが、ジャニーズ事務所はかつての力を失い、内部的なほころびも目立つようになった。

 

たとえば、不祥事。TOKIO山口達也の未成年への強制わいせつ事件、NEWS小山慶一郎加藤シゲアキ手越祐也の未成年飲酒などの事件が相次いだが、その対応もお粗末きわまりないものだった。とくに山口の事件では、いつもの強権的なマスコミ対応で通じると思ったのか、稚拙な対応で傷口を広げ、山口を契約解除せざるを得ない状況に追い込まれ、TOKIOのグループとしての仕事も破綻しかけている。

 

 SMAP以外にも、メンバーの脱退やグループの解散、活動休止も相次いだ。ジャニー社長や中居正広に近かったタッキー&翼の解散や今井翼の退所、滝沢秀明の引退・プロデューサー転身は明らかにジャニー社長とジュリー氏の対立の影響によるところが大きいのはもちろん、ジュリー派とされてきたグループも例外ではない。関ジャニ∞のメインボーカルである渋谷すばるが脱退、ジュリー氏の唯一・最大の成功体験である嵐までもが、大野智の脱退話に端を発し、2020年末で活動休止することになった。大野はジャニーズも退所する見通しで、事実上の解散だ。

 

 独立予備軍も、前述の中居だけではない。名前が上がっているだけでも、TOKIO長瀬智也関ジャニ錦戸亮大倉忠義山下智久堂本剛なども独立話が持ち上がっているメンバーは枚挙にいとまがない。ここまで脱退や解散が相次いでいるのは、メリー・ジュリー氏による飯島SMAP追放とその後の新しい地図の成功が大きく影響していることは否めない。

 

 滝沢秀明のプロデューサー転身もジュリー路線へのカウンターとしてジャニー社長の後を継ぐためのものだったが、ジュリー氏の巻き返しで、滝沢の権限はかなり限定的なものとなっている。そもそも滝沢も、ジャニー社長ほどの求心力とプロデュース手腕があるかは未知数だが、社内政治的にはすでに敗色濃厚だ。

 

「ジャニー喜多川」の画像検索結果

 

 こんな惨状で、もしジャニー社長の身に何かあったら、これまで押さえつけられてきた不満が一気に噴き出ることになるだろう。中居や長瀬、堂本剛に限らず「ジャニー社長がいなければ事務所に残る義理はない」と考えているタレントや事務所スタッフは少なくない。もしジャニー社長に何かあれば、タレントたちはどんどん離れていくだろう。そうなれば、テレビ局のジャニーズ離れも時間の問題だ。

 

ジャニーズの歴史

 

ジャニーズ事務所から最初にデビューを飾ったアイドルグループがまさに「ジャニーズ」という名のグループでした。

初代ジャニーズとも呼ばれており、1962年に結成され、5年後の1976年には解散をしています。

この時のメンバーは、あおい輝彦さん、真家ひろみさん、飯野おさみさん、中谷良さんの4名で、坂本九さんと作った「涙くんさよなら」が大ヒットを飛ばします。

2019年の現在からおよそ60年も前にデビューをした初代ジャニーズですが、その後に女性3人トリオのスリー・ヤンキースというグループを結成して2年後に解散するなど、当初は右往左往してあまりうまくいっていなかったようです。

今でも芸能界で活躍する田原俊彦近藤真彦野村義男たのきんトリオが出てきたのが1983年、この辺りからだんだんとジャニーズに勢いがつき始めます。

その後はシブがき隊や少年隊、光GENJISMAPTOKIOと続いていき、ジャニーズ帝国が作られていきました。

 

グループごとの過去の出来事

 

SMAP

森且行がオートレーサーになるため1996年に脱退。

木村拓哉が2000年に工藤静香とデキ婚。

稲垣吾郎公務執行妨害道路交通法違反で2001年に逮捕。

草彅剛が公然わいせつ容疑で2009年に逮捕。

事務所独立騒動で中居正広木村拓哉が残留、草彅剛と香取慎吾稲垣吾郎が退所となり2016年に解散。

 

TOKIO

 

「tokio」の画像検索結果

 

小島啓がCDデビュー直前に長瀬智也にボーカルを交代させられたため1994年に脱退。

山口達也が女子高生に強制わいせつ行為をしたため2018年に脱退。

 

V6

井ノ原快彦が2007年に瀬戸朝香と結婚。

長野博が2016年に白石美帆と結婚。

岡田准一が2017年に宮崎あおいと結婚。

森田剛が2018年に宮沢りえと結婚。

 

KinKi Kids

堂本剛が2017年に突発性難聴を発症。

 

 

「ジャニーズ 嵐 ...」の画像検索結果

 

大野智の提案で2020年末に活動休止。

 

タッキー&翼

滝沢秀明が裏方に専念、今井翼メニエール病の治療のため2018年に解散。

 

関ジャニ∞

 

「関ジャニ∞」の画像検索結果

 

渋谷すばるが音楽を追求するため2018年に脱退。

 

NEWS

森内貴寛が学業に専念するため2003年に脱退。

内博貴と草野博紀が未成年飲酒のため2006年に脱退。

山下智久がソロ、錦戸亮関ジャニ∞に専念するため2011年に脱退。

小山慶一郎加藤シゲアキ手越祐也が未成年女性に飲酒強要。

 

KAT-TUN

赤西仁が方向性の違いのため2010年に脱退、2012年に黒木メイサとのデキ婚が事後報告だったため全国ツアー中止&ドラマ降板、2014年に契約満了のため退所。

田中聖が度重なるルール違反のため2013年に脱退、大麻所持で2017年に逮捕。

田口淳之介が30歳を区切りとして新たな道を目指すため2016年に脱退、大麻所持で2019年に逮捕。

現在3人で活動中。

 

Hey!Say!JUMP

森本龍太郎が未成年喫煙のため2011年に脱退。

岡本圭人アメリカ留学のため2018年に活動休止。

 

Kis-My-Ft2

藤ヶ谷太輔が2015年に瀧本美織との熱愛が報道。

二階堂高嗣が2017年にSCANDALHARUNAとの熱愛が報道。

 

Sexy Zone

松島聡パニック障害の治療のため2018年に活動休止。

 

King&Prince

岩橋玄樹パニック障害の治療のため2018年に活動休止

 

 ジャニー喜多川氏のご冥福をお祈り致します。

 

 

 

 

高まる緊張 アメリカはイランと戦争するのか?

 

「イランは実に大きな間違いを犯した!」とトランプ米大統領は2019年6月20日ツイッターに投稿した。翌日に、米無人偵察機が撃墜されたことを受けてトランプは、イランへの軍事攻撃を実行に移す直前まで行ったが、約150人の死者が出る恐れがあると聞かされて予定10分前に撤回したと21日語った。

 

「アメリカ イラ...」の画像検索結果

 

イラン革命防衛隊による米軍ドローンの撃墜について、イラン側は同機がイラン領空を侵犯していたと主張。直ちに軍事対応する「レッドライン」に相当すると述べた。

これに対し米国防総省は、ドローンはイラン沿岸から30キロ以上離れた国際空域を飛行しており、残骸の捜索も公海上で行ったと発表。「イラン領空を侵犯していない米軍機に対するいわれのない攻撃」と糾弾した。

ポンペオ国務長官に言わせれば、直ちにイランへの軍事攻撃に踏み切る最後の一線になるのは、米兵の殺害につながるような何らかの行動があった場合だ。

 

トランプはNBCの番組内で、イランへの軍事攻撃に踏み切るとすればイランが核兵器を手にした時だと主張したが、多くの専門家は、そうした事態に至る可能性を高めているのはトランプ自身の政策だと指摘している。国際原子力機関IAEA)の査察報告書は、つい最近までイランは核合意を遵守していたとの内容で一貫している。

 

トランプ政権は、オバマ前政権下で締結された2015年の核合意から2018年5月に離脱。オバマ前大統領の政策をことごとくひっくり返しているトランプ大統領は、合意が核兵器開発やミサイル開発、テロ支援といったイランの行動を抑制していないとの立場だ。今年4月には、イランの精鋭部隊である革命防衛隊を「外国テロ組織」に指定した。

トランプ大統領によるイランへの圧力強化の狙いは、欠陥だらけとする核合意について、再交渉の席にイランを着かせることだろう。「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ氏は、アフガニスタンやシリアなどの中東に対する関与を縮小させ、財政やアメリカ軍の負担軽減を進めている。北朝鮮のようにイランがアメリカ本土に到達するような核兵器・ミサイルを持つという直接的な脅威は今のところ存在せず、イランに対する主戦論を展開しているわけではない。

 

 

「トランプの特技は、自分が作った問題を取り繕って、勝利を宣言することだ。だが今週は、そのドラマ演出に聖書的な要素が加わった。まず彼は、イランへの報復作戦を指揮する『復讐に燃える神』のペルソナを演じた。そしてすぐに衣装替えのために舞台裏に身を隠し、『平和の君』のマントをかぶって再登場し、作戦の中止を宣言した」

イスラム体制は政治的にも経済的にも構造がしっかりしていて、近い将来、体制転換が起きるとは思えない。イランの態度にも大きな変化をもたらさないことは明らかで、トランプ政権に果たして戦略というものがあるのかすら疑問だ。

 

「アメリカ イラ...」の画像検索結果

 

アメリカ・イランの過去の経緯

 

2国間に最初にくさびが入ったのは、米CIAが石油利権をめぐってイランでクーデターを起こした53年のこと。それまでの数十年、イランの石油は欧米企業の支配下に置かれ、利益を吸い上げられていた。ところが51年、民主的な選挙によってモサデク政権が誕生すると、モサデク新首相は就任直後にイランの石油産業を国有化して欧米から奪還。すると米英は、すぐさまモサデクを失脚させて米英寄りのパーレビ国王に君主政治を敷かせるべくクーデターを起こした。

しかしこれが、イラン国内のリベラル派と保守派の両方を敵に回し、その後の両国関係に決定的な影響を及ぼすことになる。

保守派は宗教と無関係なパーレビが権力を掌握したことに憤慨し、リベラル派は民主主義が葬り去られたことに落胆。79年には、アメリカの傀儡となったパーレビ政権を打倒しようと国民がイラン革命を起こした。これによって、米外交にとって安定した支柱だったイランが最も不安定な要素に様変わりした。

革命の結果イスラム共和国となったイランは、同様の革命をアラブ諸国に輸出しようとしたほか、アメリカの同盟諸国やそれらの近隣諸国に対するテロに資金を援助するようになった。

 

80年代に入ると、アメリカはイラン・イラク戦争イラク側についた。その後、レバノンイラク、シリアなど米外交が機能していない中東諸国で影響力を増したイランは、この地域における反米勢力の代表格としてシーア派民兵組織のネットワークを強化し、アメリカの意図をくじこうとしている。例えばイランが後押しするイエメンがアメリカの同盟国であるサウジアラビアと代理戦争を繰り広げたりと、中東でイランとアメリカの対立に無関係な国はほとんどないと言っていい。

イランは、2017年に弾道ミサイルの実験に成功。このミサイルは射程2000キロで、複数の弾頭を搭載できる多弾頭型だ。イランとイスラエルとの距離は約1700キロであるため、もしイランが核開発に成功すれば、その時点でイスラエルへ核攻撃が可能となる。また、北朝鮮の長距離弾道ミサイルの技術がイランに流出すれば、イランはワシントンDCを射程に入れて核攻撃を行うことも可能となる。

 

このためトランプ氏は、不完全な核合意を離脱し、未来永劫に渡って核開発ができなくなる状態づくりを急いでいる。

イランの核開発には、イスラエル核武装国として周辺国を圧迫しているという背景がある。そんななか、トランプ氏は親イスラエルの姿勢を加速させている。6月に「世紀のディール」と呼ぶ中東和平案を発表の予定だが、イスラエル寄りの内容になるとも言われている。

 

例えば、現在イスラエルユダヤ人をヨルダン川西岸に入植させて領土を拡張しているが、トランプ政権は「黙認」している。現在ヨルダン川西岸に入植するユダヤ人は40万人。これはパレスチナとの二国家共存の否定であり、それを黙認することは必ずしも中立的とはいえないだろう。

 

イランが核武装すれば、サウジ、エジプトも核武装し、イスラエルが存亡の危機を迎えるのみならず、核拡散の未来がやってくるのは確かだ。しかしイランの非核化に取り組むトランプ政権の「イスラエルびいき」は、また別の禍根を残しかねない。

 

高まる緊張

 

「アメリカ イラ...」の画像検索結果

 

このように緊張が高まった直接の要因は、トランプがイランとの核合意を反故にし、再びイランに制裁を加えたからである。こうした措置はすべて、ヨーロッパの同盟国の希望に反しておこなわれ、ワシントンの外交通の間でも反対の声が上がっていた。

トランプはイラン政府と対話する用意があるとしているが、この政権がイランを交渉のテーブルに座らせることができると見ている専門家はほぼいない。イランの核交渉チームの元スポークスマン、セイエド・ホセイン・ムサビアンは米誌アトランティックに、「トランプは核合意を台無しにしたことで、将来の交渉のチャンスも台無しにした」と語っている。

そして、緊張の炎がまた大きく燃え盛るのは避けられない。

 

「双方が絶対に引かないと決意しているなか、緊張がさらにエスカレートするのを回避するのは難しいだろう。トランプが望んでいる新たな核交渉は、衝突を避ける一つの手段ではあるかもしれない。だがイランは、信用していない政権との交渉に応じるとは考えにくい。ましてや、合意に至る確率はもっと低いだろう」

ドローン撃墜が注目される一方で、イランの支援を受けるイエメンのホーシー派がその前日、サウジアラビアの淡水化施設を攻撃していたことは、さらに深刻な兆候といえる。ここ1カ月ほどで、ホーシー派はサウジの石油パイプラインや国際空港への攻撃を続けてきた。

淡水化施設への攻撃は実害をもたらさなかった。だが、サウジが貴重な水の確保を海水の脱塩施設に大幅に頼っていることを考えると、こうした施設への攻撃は数ある石油施設への一撃よりはるかにダメージが大きい。

今回の淡水化施設攻撃は失敗したが、サウジに心理的影響を与えなかったわけではない。「イラン側は成功するまで攻撃を続けるだろうし、もしも水施設の攻撃に成功すれば、深刻な事態を引き起こすことになるだろう」

 

 

 

 

一日一生 酒井雄哉(著)/ 一日が一生、と思って生きる

一日一生とは

「一日を一生のように生きよ、明日はまた新しい人生」。

現代の〝生き仏〟と称される酒井雄哉大阿闍梨の慈雨の言葉集。

生々流転を経て、比叡山千日回峰行を二度満行、いまだ歩き続ける。

なぜ生きるのか。

いかに生くべきか。

人生に迷うすべての人に。

「あせらず、あわてず、あきらめず、無理をしない」

「仏さんには、なんもかんもお見通しかもしれないよ」

 

「酒井雄哉 一日...」の画像検索結果

 

第一章 「一日一生」

・一日が一生、と思って生きる

・身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す

・仏さんは、人生を見通している

・足が疲れたなら、肩で歩けばいい

・ありのままの自分としかっと向き合い続ける

・「一日」を中心に生きる

・人は毎日、新しい気持ちで出会える

 

第二章 「道」

・生き残ったのは、生き「残された」ということ

・長い長い引き揚げの旅が教えてくれたこと

・人の心には闇がある

・人生の出会いはある日突然やってくる

・自分は何のために生まれてきたのか、なにするべきか問い続ける

・その答えを、一生考え続ける

 

第三章 「行」

・衣を染める朝露も、いつしか琵琶湖にそそぐ

・歩くことが、きっと何かを教えてくれる

・息を吸って、吐く。呼吸の大切さ

・仏はいったいどこにいるのか

・学ぶこと、実践することは両輪

・ゆっくりと、時間をかけて分かっていくことがある

 

第四章 「命」

・子供はおぶったりおぶわれたりして育つ

・夜店で母が隠した父の姿

・心と心が繋がっていた父と母

東京大空襲の時に鹿児島で見た夢

・命が尽きれば死んで、他の命を支えるんだよ

 

第五章 「調和」

・桜は、精いっぱい咲いている

・人は自然の中で生き、生かされている

・心のありようはいろいろなものに作用される

・本当は同じものを見ているのかもしれない

・まだ、たったの三万日しか生きていないんだなあ 

 

千日回峰紀

 

「酒井雄哉 比叡...」の画像検索結果

 

比叡山の峰や谷を7年かけて計1千日巡り、礼拝する厳しい修行。雨の日も嵐の日も、ひたすら夜中に寺を出て、比叡山中約40キロを歩き、午前中に寺に戻るというものだ。行の途中では、何があっても中断することは許されない。もしも途中で、この行を出来なくなった時は、たちまち自死して果てるという、そのくらいの覚悟を持って、行者たちはひたすら、千日山々を廻るのである。山川草木などあらゆるものに仏の姿を感じながら歩く距離は地球1周分(約4万キロ)。修行を始めてから700日を超えると9日間、食事や水、睡眠を断って不動真言を10万回唱える「堂入り」の行が課される。その後は山中だけでなく、京都市内でも礼拝する。満行すると、行者は大阿闍梨と称され土足で宮中に参内することが許されてきた。 酒井師は、この荒行を二回行った。二千日回峰行を成功させた行者は、長い比叡山の歴史の中でも信長の比叡山以後3人しかいない。

 

酒井雄哉さかいゆうさい)

 

「酒井雄哉 一日...」の画像検索結果

 

酒井師は、元々はごく普通の人。というよりどちらかと言うと、落ちこぼれの人生を送っていた。

1926年(大正15年)大阪で生まれたが、父の会社が倒産して5歳で東京に引っ越す。麻布中学を受験したが受験に失敗。夜学の商業高校に入学。しかし学業に身が入らず、教師の奨めもあり、1944年(昭和19年)予科練に入る。運良く特攻隊で命を散らすことなく生還。若い頃は、さまざまな職業を点々とした。

株売買のブローカーを父親とやっていた頃、大金を稼いだこともあったが、1953年、ソ連の独裁者スターリンが死んで、「スターリン暴落」が起こる。丁度今のサブプライムローン暴落のような金融危機だった。大損をして、借金取りに追われた。

いい歳だというので、親戚が気を使って、従妹(いとこ)の女性と結婚をする。しかしこの女性が大阪の実家に帰ってしまう。びっくりして、東京から大阪まで追いかけていくと、少しして、奥さんはガス自殺をする。結婚して二ヶ月しての出来事だった。せめて49日はいてくれと、義父(叔父でもある)にせがまれ、妻の実家の鉄工所を手伝うことに。何故か居座っているうち、義母(叔母)が、気分を転換させようと比叡山に連れて行くことがあった。

 

それから比叡山に行くようになった。そこで偶然、千日回峰行中の行者に出会う。その行者は、千日回峰行でももっとも厳しいとされる「堂入り」の最中だった。場面は、9日間籠もっていた堂から出てくるところ。何しろ堂入りは、9日間不眠・不臥・断食・断水で不動明王真言を10万遍唱えるという常人の思考を遙かに越える過酷な修行だ。その行者宮本一乗阿闍梨の姿に触れた時、若き酒井師の心に強く響くものがあった。運命の出会いだったかもしれない。それからだいぶ時が経って、自分も出家し、千日回峰行を行う道に入っていくのである。

 

そして39歳(1965)で出家した。親子ほどの若者と一緒に、小僧修行に励む。それまでの落ちこぼれ人生がウソのようになり、叡山学院を首席で卒業し、天台座主賞を受賞したほどだ。そしていよいよ1973年千日回峰行に挑む。それから七年後の1980年、第一回目の千日回峰行に満行。引き続き二度目の回峰行を1987年に満行して、二千日回峰行を達成。大阿闍梨(だいあじゃり)となった。

 

最後に酒井師の言葉を贈りたい。「生きとし生けるものの命はみな繋がっている。そう思うと、死は恐ろしいもの、寂しいものではない。一日でも長く生きて、良い結果を残していけば、来世に繋がっていく。そう思うと、毎日にはりが出て、楽しくなる。せっかく命があるのだから、日々、この地球のさまざまの命のことを思いながら、少しでも良いことをして生きて生きたいものだね。」

 

 

 

 

 

目は脳の出張所 目の老化防止には、全身の老化防止が必要!

”目は脳の出張所”とも言われていて、脳が直接支配する12本の神経のうち、実に6本もの神経が目の働きのために使われています。そのため、がんばり過ぎている目をそのままにしておくと、疲れはやがて身体にまで影響し、肩こりや冷え症などの不調にもつながっていきます。

 

「視力 トレーニ...」の画像検索結果

 

誰にでも訪れる症状は、老眼と白内障です。症状というより、現象と言ったほうがいいかもしれません。「老化現象」ですね。100%の人がなります。

また、人によって出やすいのが疾患としてのドライアイです。ドライアイは、目の表面が乾いて痛む、目がかすむ、疲れるなどの症状があり、白内障は、水晶体が灰白色や茶褐色ににごり、物がぼやけて見える、視界がかすむ、まぶしいなどの症状が起こります。 30代後半から、視力、乾燥、疲れなど、目の力の衰えを実感するという人が多いようです。

 

「老眼」の画像検索結果

 

実際には、目の衰えはもっと早くから始まっています。症状が出て慌ててケアしようとしても、防ぐのはなかなか難しく、調節力が衰え、段々と近くの物が見えづらくなるのが、いわゆる「老眼」です。35~40歳位から老眼は始まると言われています。

目がかすむ、まぶしさを感じる、急に涙が出てくるなどといった目の症状は、肉体的な過労、精神的なストレス、睡眠不足などが原因でも現れます。

同様に、目の老化は、加齢に伴う血行不良、自律神経のアンバランス、酸化ストレスの増大など、体全体の老化と関連が深いといわれています。

 

体の中でも目は、小さいのにたくさんの血液を要求する臓器です。疲れがひどく全身の血行が悪いと目に症状が現れます。寝不足が続くと頭部に血液が回らず、立ちくらみが起こりやすくなりますが、同時に目のピントも合わせづらくなります。

また、目のピントを合わせるのは自律神経の働きなので、睡眠不足やストレスなどで自律神経のバランスが崩れると、目に症状が出やすくなるのです。

老化と密接に関係する活性酸素(体内で発生する酸化力の強い酸素)も目に影響します。体内では酸化を防ぐ酵素が作られ、活性酸素に対抗する防御システムが働いていますが、年齢とともにその働きは弱くなり、酸化ストレスが増大します。目は酸素の消費が多いため、他の臓器に比べても、活性酸素による酸化ストレスを受けやすいのです。

つまり、目の老化防止のためには、全身の老化防止を心がけることが大切です。

 

視力を保つための対策

(1)バランスのよい食事をする

偏食をせずに、緑黄色野菜や豆、海藻類なども加えてバランスのとれた食生活を心掛けましょう。冷たい飲み物や食べ物は胃腸の働きを弱め、栄養の吸収を悪くするのでなるべく温かい食べ物を。目によい食べ物はドライフルーツやナッツ類です。

(2)ストレスをためない

目の働きは自律神経の影響を受けやすいので、ストレスは目に症状として出ます。交感神経と副交感神経のバランスを保つために、ストレスをためないようにしましょう。

(3)目を休ませる

パソコン作業に読書、テレビやゲームなど目を使うときは1時間に1回は目のストレッチをして休ませましょう。疲れ目には体温程度のホットパックで温め、目の周りの血行をよくしましょう。冷やすのは充血を抑えるのには効果的ですが、血行が悪くなるので、長時間冷やすことは避けましょう。

(4)十分な睡眠をとる

目の働きに直結する脳の疲れをとるためには十分な睡眠が必要です。夜更かしは避けて、午前0時までには寝るように心がけましょう。

(5)禁煙

たばこは血行を悪くするので厳禁。最近急増中の加齢黄斑変性症のリスクを高めます。

(6)軽い運動

毎日続けられる運動を取り入れて、全身の血行をよくしましょう。ストレス解消にも役立ちます。

 

目のトレーニン

「視力 目を閉じ...」の画像検索結果

 

遠く&近くを眺める体操

  1. ①ペンなどを手に持って、腕を伸ばし、ペンを2~3秒見ます。
  2. ②次に、外の景色など遠くを2~3秒見ます。これを3セット行います。

目を開く&閉じる体操

  1. ①目をギュッと閉じます。
  2. ②閉じた目をパッと見開いて2秒キープします。これを3セット行います。

眼球をまわす体操

顔を動かさないようにして、眼球だけ回します。

上→斜め左上→左→斜め左下→下→斜め右下→右→斜め右上、と8箇所を見るようにぐるっとまわします。これを3セット行います。

目にいい食材・サプリメントを摂る

目の健康を保つためには、体全体の健康を保つことを考えなければなりません。目によいからといって、一つの食材ばかりをとっていては栄養バランスが崩れ悪影響ですから、まずはバランスのとれた食事を心がけましょう。その上で、特に目によいとされる栄養素、アンチエイジング効果(抗酸化作用)のある栄養素を摂取するようにします。

  • ルテイン 目の水晶体にもともとある物質で、強い抗酸化作用があります。ほうれん草やにんじん、かぼちゃなどの緑黄色野菜に多く含まれています。
  • アスタキサンチン 目のピント調節の改善が期待される、抗酸化作用の強い物質です。サケやイクラカニ、エビなどに多く含まれています。
  • ビタミンB1、ビタミンC ビタミンB1には、筋肉の疲れをやわらげる働きがあり、目の疲れをやわらげるのにいいでしょう。豚肉、うなぎ、玄米などに多く含まれています。 また水晶体には多くのビタミンCが含まれているため、ビタミンCもしっかり摂るようにします。赤ピーマンや黄ピーマン、パセリなどの野菜やキウイやグレープフルーツなどのフルーツに多く含まれています。

 

 

 

 

「考える日本史」 本郷和人/著 他国に比べて、古代・中世までは実は貧しかった日本

「考える日本史 ...」の画像検索結果

 

「知っている」だけではもったいない。なにより大切なのは「考える」ことである。信、血、恨、法、貧、戦、拠、知、三、異。たった漢字ひと文字のお題から、即興で歴史の森に分け入り、ついには日本史の勘どころにたどりつく―東京大学史料編纂所教授の新感覚・日本史教室、開講!教科書や通史は退屈だという人には特におすすめと言える。

第1章 「信」

第2章 「血」

第3章 「恨」

第4章 「法」

第5章 「貧」

第6章 「戦」

第7章 「拠」

第8章 「三」

第9章 「知」

第10章 「異」

「考える日本史」は、各お題をもとに日本史を語る形式になっている。信、血、恨、法、貧、戦、拠、三、知、異。ちなみに、文春新書の「日本史のツボ」も、天皇、土地、宗教、軍事、地域、女性、経済のツボをおさえれば日本史がわかるというもの。以下、本書に関連するテーマについて考察したい。

 

古代・中世までは貧しかった日本 「貧」

 

古代から中世(8世紀から11世紀)の期間は低成長の時代だった。

古代国家は、積極的な墾田政策、律令などの法令整備によって平安時代前半には大幅な農業収入の増加を達成したが、社会をまとめる制度そのものに限界が存在し、低い水準の農業技術では成長を維持することは不可能であった。特に、頻発する飢饉や大陸から伝播してきた疫病によるマイナス要因は高かったと考えられる。

 

最初の持続的な成長を確認できるのは、中世(12世紀から16世紀)の期間である。

この時期は、農業生産の向上、各地における流通・商業の発展がみられ、文献をみても、土地からの生産部門に商業・流通という新たな成長部門が加わり、それらが相互に作用しながら経済が進むという近世の経済成長の特徴の萌芽をみることができる。

中世後半、特に戦国時代は飢饉と戦乱による荒廃した時代とのイメージが強いかもしれないが、数量的分析は逆の結果となっている。

 

戦国時代に全国各地で大名による領国支配が進んだ結果、戦乱の時代を生き抜くために、大名達が統一的な法令・租税制度を整備して領国市場が形成されていったこと、つまり、それぞれの領国で富国強兵策を進めたことにより、生産が増加していたといえよう。

 

近世から近代(17世紀から19世紀)にも生産の拡大が確認できる。この間の成長の特徴は、第一次部門だけでなく、第二次部門・第三次部門の成長も加速していることである。

鎖国」という実質的には対外貿易からえられる利益の見込みがないなかで、経済成長が持続できたのは、内需の拡大があった。

具体的には、近世前半に、日本全国で城下町が新たに建設されていき、城下町建設による建設業を中心とした製造部門の効果があったこと、城下町に武士が集住したため、そうした武家層を対象とした商業・サービス業が発展したことも大きい。

 

近世後半の成長は、列島各地における農村工業の進展とそれにともなう商業・サービス業の拡大があった。そして、幕末期には開港による海外貿易開始の影響で農村工業品の生産が増加したものによると考えられる。

この推計結果を各国の前近代社会と比較してみよう。比較にはGDPを総人口で除して算出した1人あたりGDPの値(1990年国際ドル基準)をもちいる。

まず、アジアの文明国(中国・インド)と比較する(図2)。目を引くのは、古代・中世の日本は経済的には長らく貧しい国であったことである。

 

平安時代後半の日本の1人あたりGDPは中国(宋)に対して6割程度の水準にとどまっており、ようやく持続的な経済成長の兆しをみせはじめた中世後半でも依然としてその差は続いている。

日本がようやく先行する文明国に追いつくのは近世に入ってからで、インド(ムガル帝国)を17世紀中に、中国(清)を18世紀中に追い抜く。

もちろん、これは日本の着実な経済成長があったからこそではあるものの、一方で、広大な国土と巨大な人口を抱え、さらに西欧諸国の干渉にさらされていた中国とインドの失速そのものの影響も大きかったと考えられる。

 

城の近代化 「拠」

「日本 城」の画像検索結果

 

城という字をよく見てみると、「土」から「成る」となっている。このことが示す通り、全国に4万~5万あるといわれる城の大半は土でできており、石垣に天守がそびえるようなものは一割にも満たない。戦国時代にはこのような「土の城」が各地につくられた。これらの城は、武力によって領地を奪い合う「陣取り合戦」において、敵の侵攻を食い止める「カベ」の役割を果たした。そのため、この頃の城兵は戦争の時だけ城に「出勤」し、平時は別の場所で暮らしていたようだ。

 

土の城の多くは山につくられた。城兵の身になって考えると、地形を利用できる分、平野より山の方が守りやすいのは疑いない。敵を防ぐことが目的の城にとって、最も重要な施設は「堀」だ。どれだけ頑丈な建物があっても、入城がフリーパスでは意味がない。その城の守りやすさ(=攻めにくさ)は堀をどう掘るかによって決まるのだ。堀の幅はだいたい五間(約10m)前後のものが多い。これは当時の弓矢の射程と関係していたようだ。しかし、やがて、この堀の幅を大きく変化させる出来事が起こる。

他にも、度量衡・通貨制度の統一、五街道の整備、村単位で年貢や諸役を包括的に負担する村請制度の確立など、社会経済の機構・制度が全国的に整備されたことも、生産の拡大を進める要因として挙げられる。

 

1543年にポルトガルから伝わった鉄砲は、戦国最強といわれた武田の騎馬隊を織田信長が打ち破った「長篠の戦い」を契機に日本中へと広まった。この「新兵器」の登場は、軍事施設である城のあり方にも大きな影響を及ぼす。その最たるものが、前述した堀の幅である。弓矢の倍以上の射程を持つ鉄砲の進撃を防ぐため、城にはより広い堀が必要となったのだ。しかし、急峻な山にはとてもそんな場所がない。こうして、城は広い堀を求めて、なだらかな山や丘、平野へと「下りて」いったのだった。

 

信長、秀吉によって天下が統一されると、各地の陣取り合戦はなくなり、諸大名の軍勢は国の秩序を維持するために使われるようになる。大名たちは将軍の命令にすぐに対応できるよう、城に常備兵を置き、自らも城内に住むようになった。こうして城には、軍事拠点としてだけでなく、住居としての役割が求められるようになったのである。

 

日本が中国から導入しなかった3つの制度 「知」

 

「科挙制度」の画像検索結果

 

日本は歴史上、中国の歴代王朝から多くのことを学んできたと言える。遣唐使や遣隋使を派遣し、当時の王朝の進んだ文化を積極的に導入してきた経緯があり、現代の日本においても中国発祥の文化が数多く残っている。

 

 しかし、日本は中国の文化だからといって、何でも無条件に学び、導入してきたわけではない。中国メディアの快資訊はこのほど、「中国から積極的に学んできた日本だが、決して導入しようとしなかった制度が3つある」と論じる記事を掲載した。

 記事は、唐王朝から宋王朝の時代にかけて、日本は当時の中国を敬い、積極的に文化を学んできたとし、その意味で、中国は日本文化の母と言えると主張。多くの事物を中国から学び取った日本だが、「決して学ぼうとしなかった制度も存在する」とし、それは「科挙制度」、「宦官」、そして、「諸子均分制」だと指摘した。

 科挙制度とは中国の歴代王朝で行われた官僚登用試験で、非常に難易度の高い試験としても知られている。官僚になることができれば一生安泰出会ったため、多くの人が官僚になるために科挙に挑んだとされる。だが、その制度の弊害としては「読書や勉学のみが尊い」という風潮が広まり、そのほかのことが軽視される傾向が生まれたことだと言われている。

 また宦官は去勢した官吏を指す言葉だが、中国の歴史のなかで宦官が国の衰退や滅亡を招いた事例は少なからず存在する。そのほか、諸子均分制は中国の相続方法であり、その言葉のとおり一家の財産はすべての子に均等に分配する制度だ。日本の場合は長子相続が採用されてきた経緯がある。「これら3つの制度は中国の発展を束縛してきた悪習」との見方を示し、日本は中国の制度を「取捨選択」のうえで取り入れてきたことがわかる。