【中日】前人未踏の1001試合登板 鉄腕・岩瀬を支えた初動負荷理論とは!?

大学時代は二刀流

大学時代は投打二刀流だった。愛知大学リーグの安打記録にあと1本足りない124安打。

 岩瀬によると「達成できていたら、その後の野球人生が変わっていたと思う。野手で勝負しよう。そう考えたはずですから。あの1本差で打者への未練が断ち切れたんです」。4年生の秋にナゴヤ球場のスピードボールコンテストに参加。136キロを計測し、中日ベンチが「あの若者は何者なんだ」とざわついたのは有名な話だ。

 バットを置き、投手に専念した社会人時代に才能が一気に開花した。当時は2位まで逆指名枠を使えたドラフト制度。1位は福留孝介日本生命~中日)に決めており、「ぜひ1位で」という他球団の誘いを断っての中日入りだった。

 

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1999年、ルーキーイヤーからセットアッパーとして大活躍。65試合に登板して防御率1.57して、10勝を挙げ最優秀中継ぎ左投手を受賞。この年のリーグ優勝に大きく貢献したが、同じくルーキーで20勝を同じくを挙げた上原浩治がいたため新人王はならなかった。

以後、2003年まで左のセットアッパーとして奮闘。この間、毎年50~65試合に登板しながら2001年以外は防御率1点台という驚異的な安定感を誇ったが、99年は宣銅烈、2000年~2003年はギャラードが守護神に座っていたため、クローザーとして起用されることはほとんど無かった。この間、3度の最優秀中継ぎ左投手のタイトルを受賞。

2004年、前年のシーズン中にギャラードが退団したこともあって、新監督落合博満から新守護神に指名される。ところが、この年は開幕前に風呂場で転んで故障、その影で前半戦は不調が続く。それでも22セーブを挙げ、5年ぶりのリーグ制覇に貢献した。

2005年からは不動のクローザーとして君臨。2005年には佐々木主浩の持つ記録を塗りかえるプロ野球新記録の46セーブ、翌年2006年も40セーブを挙げて2年連続の最多セーブに輝いた。

 

日本シリーズでの”継投”完全試合

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2007年11月1日。日本ハムとの日本シリーズ第5戦(ナゴヤドーム)で、球史に残る「完全試合継投」が行われた。先発の山井大介が8イニングを投げ、落合監督は継投を決断した。

1点差で日本一、そして完全試合。失点どころか安打も四球も出してはいけない究極の救援だったが、それを命じた落合監督と遂行した岩瀬。2人にだけ通じる思いはきっとあるはずだ。

 

2008年の北京五輪では不調であるのが明らかにも関わらず星野仙一監督が起用にこだわったため、日本代表が喫した5敗のうち3敗を岩瀬が占めることになる。シーズンでも36セーブを挙げたものの防御率は2.94と、前年の2.44に続いてプロ入り以来初めて2年続けて防御率2点以上となった。これによってそれまで通算で1点台だった防御率が2点台になってしまった。

2009年は41セーブを挙げ、3年ぶり3度目のセーブ王を獲得。

2010年6月16日の日本ハム戦で史上3人目となる通算250セーブを達成。高津臣吾佐々木主浩に続いて史上3人目のリリーフでの名球会入り資格を得た。シーズンでも42セーブを挙げ2年連続4度のセーブ王を獲得したが、シーズン終盤には「最後の1イニング」ではなく「最後の1・2アウト」を任されることが多くなった。

2011年は守護神の座を守れるか正念場のシーズンとして迎える。序盤は「失点しても失敗はしない」投球でセーブを重ね、6月1日の楽天戦で高津臣吾日本記録通算286セーブに並ぶ。そして6月16日のソフトバンク戦でセーブを挙げ、通算287セーブで日本新記録、歴代1位となった。

2012年は救援失敗が増え、8月には10年ぶりとなるシーズン中の二軍落ちも経験。シーズン後半にはついに山井大介に抑えの座を譲る場面が増えたが、それでも33セーブを挙げて5回目のセーブ王のタイトルを獲得した。5回目はリーグ最多で、記録37歳での獲得は最年長記録。

 

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2013年4月18日には、前人未到の350セーブ達成。9月18日には通算382セーブとし、佐々木主浩の日米通算記録381セーブを更新した。

2014年7月26日の読売ジャイアンツ戦でNBP前人未到の400セーブを達成した。

2018年9月28日の阪神戦で403セーブを達成、翌29日の阪神戦で1001登板を達成した。

 

岩瀬投手の年度別成績

1999年 65試合 10勝2敗1セーブ 防1.57

2000年 58試合 10勝5敗1セーブ 防1.90

2001年 61試合 8勝3敗0セーブ 防3.30

2002年 52試合 4勝2敗0セーブ 防1.06

2003年 58試合 5勝2敗4セーブ 防1.41

2004年 60試合 2勝3敗22セーブ 防2.80

2005年 60試合 1勝2敗46セーブ2ホールド 防1.88

2006年 56試合 2勝2敗40セーブ5ホールド 防1.30

2007年 61試合 2勝4敗43セーブ3ホールド 防2.44

2008年 51試合 3勝3敗36セーブ5ホールド 防2.94

2009年 54試合 2勝3敗41セーブ1ホールド 防2.12

2010年 54試合 1勝3敗42セーブ3ホールド 防2.25

2011年 56試合 0勝1敗37セーブ7ホールド 防1.48

2012年 54試合 1勝3敗33セーブ6ホールド 防2.29

2013年 55試合 2勝3敗36セーブ8ホールド 防1.86

2014年 34試合 1勝2敗20セーブ4ホールド 防3.52

2015年 1軍登板なし

2016年 15試合 0勝2敗 0セーブ2ホールド 防6.10

2017年 49試合 3勝6敗 2セーブ26ホールド 防4.29

2018年 47試合 2勝0敗 3セーブ9ホールド 防4.67

通算 1001試合 59勝51敗 407セーブ81ホールド 防2.31

 

合計20年間のうち2015年、2016年以外の年はほぼフル稼働でした。まさに鉄腕です。

リリーフになった経緯

酒が全く飲めない(体質的にアルコールを一切受け付けない)。リリーフ起用の理由も、1999年当時の中日で左腕のリリーフ投手が不足していたことに加え、投手チーフコーチだった山田久志が、岩瀬が酒が飲めないことを聞きつけ「(二日酔いの心配がないので)打たれても連投できる」と考えたことが一因である。

 

鉄腕だがオーラはない!?

普段はオーラがないと言われている。2007年1月31日の中日スポーツの記事で、沖縄川上と一緒にタクシーに乗った時には、「(川上の)マネージャーさんですか?」と言われたほどである。

 

 

鉄腕を支えた初動負荷理論とは?

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 そもそも、アスリートがトレーニングにいそしむ目的はパフォーマンスの向上にある。パワーをつけたければ筋肉の量を増やす。つまり重い負荷をかけ、筋肉の肥大化に努めるわけだが、そんな考え方を革新的に変えたのがワールドウィングの小山氏である。

 読んで字のごとく「初動」に「負荷」を、それも軽めにかける。いわゆる「ベンチプレス100キロ」「スクワット250キロ」という世界ではない。

 

筋力トレーニングというよりストレッチに近い。

誰でも肩がこった、腰が張ったってあると思いますが、それは筋肉が硬くなったりして自由度が減っているんです。アスリートだとパフォーマンスダウンの要因となる。筋肉の柔軟性と関節の可動域を広げる。それが故障しにくい体をつくることになり、パフォーマンスアップにつながるというもので、筋力トレーニングというよりストレッチに近いようだ。

数多くのスポーツ選手が取り入れいトレーニング方法ではあるが、一般人にも通じるもの(スポーツのみならずリハビリ等にも有効)。指導提携契約施設は全国に42あるようなので、興味のある方は一度覗いてみては如何でしょうか。

株式会社ワールドウィングエンタープライズ

 

数々の偉大な記録を残した岩瀬投手。毎年新球に取り組むなど野球に対するあくなき探求心と、徹底した自己管理の賜物であろう。来年からはコーチとして活躍と、強いドラゴンズの復活への貢献を期待したい。