アリババ マー会長退任 英語教師から成功を収めるまでの道のり

アリババ創業者会長退任へ 後継にCEO張氏 

 

中国のネット通販最大手「アリババグループ」の創業者・馬雲会長が、1年後に会長職を退くことを発表した。

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現在54歳の馬氏は、1999年にアリババを創業し、圧倒的なカリスマ性で、時価総額およそ46兆円の世界的企業に育て上げた。

ジャック・マーの英語名でも知られ、ネット通販やキャッシュレス決済「アリペイ」の爆発的普及を実現し、中国の消費生活に革命的な変化をもたらした。

退任は、アリババ創業20周年となる2019年9月10日で、1年かけてCEOの張勇氏に譲る準備をするとしている。

後継指名について馬氏は、「個人依存から組織や人材に依存する経営に踏み出したことを示す」としたものの、2020年まで取締役会のメンバーにとどまる意向で、早めの後継発表で、混乱なく経営を引き継ぐ狙いがあるとみられる。

Yahoo!ニュースより)

アリババ創業者会長退任へ 後継にCEO張氏 中国(ホウドウキョク) - Yahoo!ニュース

 

 

ビルゲイツを意識

2014年に設立された『ジャック・マー財団』は、中国の教育システムの向上(中でも地方の教育)をその主な目的としている。2017年には、地方の貧困撲滅のため、今後10年にわたって教師のトレーニング・プログラムに3億元(約48億7000万円)を提供すると約束した。

アリババを創業する前は英語教師として働いていたマー氏は、「いつか近いうちに、教育の世界に戻るつもりだ。アリババのCEOでいるより、自分にはずっとうまくやれると思う」 と以前ブルームバーグに語った。今回の退任発表は、その流れを受けてのものと思われる。

この動きは、マイクロソフトのCEOを辞める6年前の2000年に、慈善活動を行うための自身の財団を設立したビル・ゲイツ氏にそっくりだ。

マー氏はブルームバーグに語った。「ビル・ゲイツ氏から学ぶことは多い。彼ほどリッチには決してなれないが、早めにリタイアすることだけは、彼よりうまくやれそうだ

 

ジャック・マー会長の履歴書(アリババ誕生までの歴史)

「アリババ」の会長。1964年、中国の杭州生まれ。杭州師範学校卒業後、杭州電子工業大学で英語教師として勤務。99年に同社を創業。2014年9月、米ニューヨーク証券取引所に同社株式を上場させた。

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人気教師になるも、月給はわずか14ドル

マーは中国東部の杭州で育った。両親は、「評弾」という、物語を歌う伝統芸能演奏家で、3人兄弟の2番目の子供だった。近所の人々は、マーはよく反抗して、面倒を起こしていたと語る。

10歳のときに英語に興味を持ち、杭州ホテルまで自転車で出かけて外国人旅行客を相手に英語の練習をした。彼は、この経験から、外の世界に興味を持つようになった。

しかし、数学の成績が悪く、大学進学は無理だと思われていた。それでも3度目の挑戦で大学の入学試験に合格し、地元の師範学校に入学。学校では優秀な成績を収め、学生自治会長に選ばれた。卒業後、杭州電子工業大学(現杭州電子科技大学)で英語教師の職に就き、すぐに人気教師となったが、当時の月給はわずか14ドルだった。

 

翻訳会社を起業

中国経済が急成長を始めると、マーは起業にチャンスを見出した。マーは副業として翻訳会社を共同設立し、薬を販売したり、株式にも手を出したりしていた。「35歳までに大富豪になっていなかったら、どうか殺してくれ!」と冗談を言っていたという。

1995年に、初めて米国を訪れたマーは、杭州市で英語教師をしていた友人ビル・エイホの、シアトルに住む親戚宅に滞在した。そこでエイホの義理の息子にあたり、米国初期のインターネット・プロバイダの一つ、「VBN」を経営していたスチュアート・トラスティからインターネットの存在を教えられた。

「私のオフィスにジャックがやってきたので、彼にインターネットを見せたのです。その頃はインターネットと言ってもほとんどが政府機関や企業向けの電話帳のようなものでしたが、彼は大いに刺激を受けたようでした」

 

チャイナページを設立

マーは帰国すると、中国初のインターネット会社「中国黄頁(チャイナページ)」 を設立した。外国の顧客を探し求める中国企業のための中国版イエローページだ。元同僚らによると、マーは休むことなく働いていたという。企業を訪ねて回り、写真を撮り、情報を集めては英語に翻訳した。それが終わると、彼は作成したリストをシアトルのVBNに送り、ウェブサイトに掲載してもらった。だが、当時、中国人はインターネットという概念に馴染みがなく、マーたちがインターネットを紹介しても理解されなかった。

チャイナページは最初の頃は苦戦したが、マーは楽観的だった。96年にVBNのパートナーに会うため再度シアトルを訪れたときには、自分が大儲けすることを確信していたようだ。同行したエイホはこう振り返る。

「彼が高級住宅地クイーン・アン・ヒルに立ち並ぶ邸宅を見ていたときのことを覚えています。家々を指差して、『金持ちになったらあっちの家を買って、あの家も……』と話していました。当時、彼は一文無しだったというのに」

だがその後、マーは会社の支配権を失うこととなった。96年に、チャイナページは杭州テレコムと合弁事業を設立するように当局から圧力を受け、政府が事業を掌握することが確実になった。失望したマーは北京に向かい、中国商務部に設置されたインターネット広告機関で働いたが、わずか14ヵ月しか続かなかった。自分の会社を経営したくてたまらず、杭州に戻ったのだ。

 

中国企業を“助ける”「アリババ」の誕生

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1999年2月21日、マーは杭州のレイクサイドガーデンに建つアパートの2階の自室に17人の友人を集め、アリババをスタートさせた。そこで自分の野望と、中国がいかに優れた新興企業を必要としているかについて長広舌をふるった。「アリババ」という社名にしたのは、「誰もが『アリババと40人の盗賊』の物語を知っており、主人公のアリババが他人を快く助ける若者だから」だと、彼は後に語っている。

実際にアリババという会社は、企業が外国の顧客を見つける“手助け”をしている。アリババをグローバルな貿易を行う中小企業が出会うためのサイトにするというのが、マーの考えだった。

 

アリババの事業内容

アリババは、世界最大の流通総額を持つオンラインモバイルコマースカンパニーで、「あらゆるビジネスの可能性を広げる力になる」ことをミッションとし、世界中の価値ある商品やサービス、エンタテイメントコンテンツを、Eコマースなどのオンラインチャネルと、実店舗や宅配などのオフラインチャネルを通じて届けしている。さらに、データテクノロジーを駆使し、マーケティングから物流、決済に至るまでのサービスを提供している。 

 

人生の節目では失敗続きだった

 

マー会長曰く「大学入試のときには3回落ちたし、就職活動するときにも、私は30回も落とされたんですよ。私ね、ハーバードも受けたことあるんですよ。10回受けて10回とも落とされました。」

マー会長の輝かしい成功の影では、多くの失敗もありましたがそれに負けない弛まぬ努力があったということですね。どのような状況においても、上を向いて目標に立ち向かうマー会長の姿勢を参考にしたいものです。